吃音になった不思議な理由

先日 吃音の仲間とお泊まり会をした
そこで 当事者研究ばっかりしてるヤバい人が 吃音になったきっかけになってる不思議な記憶 ありません? と言い出した
はじめ何のこっちゃと思っていたが ぼくもあったのを思いだした

小2の夏 祖父母と父と妹と広島の宮島に旅行した 母はたぶんいなかったと思う
祖父母の岡山の家にいたときで 在来線にやたらと長い間乗った記憶がある まさか岡山から在来線で3時間あまりかけて行ったのだろうか さすがに新幹線で広島まで行きそこから在来線に乗りかえたが なにぶん子どものときだから広島宮島口の20分ほどが長く感じたのだろうか それはよくわからないが どこかで快速に乗るべきを間違えて普通に乗ったことを覚えている

宮島はJRの宮島口からフェリーで行く 8月の広島の暑い日差しと 大きなフェリー(実際はそんなに大きくないはずだが小2のときなので大きく感じられたのだろう)が重なる記憶がある

その時なのだ 吃音になったのは
その時何かがあったはずだ

小2のときからずっとそう思ってきた

あまりにわけがわからないので 人に話そうなんて思わなかった しかし実はそう信じているのだ

その時一体何があったのだろう 祖母に話し方について言われたのだろうか 暴力的なことがあったのだろうか それらはありそうなことだが 推論の域を出ない

だが事実 その旅行が終わってほどなく大阪に帰り2学期になると 不思議なくらいどもるようになったのであった 夏休みの宿題としてこの旅行のことを絵日記にしたのも トリガーになっているような気がする

1学期の終わり 7月に国語の教科書の『スイミー』を授業で読んだとき 喉につっかえる感覚があったのは覚えている*1 タイトルの「スイミー」の「ス」がなかなか言えなかった(うまくごまかしたので先生やクラスメイトにはバレなかった) しかしタイトルさえクリアしたら 後はスラスラ読めた

お泊まり会で その宮島旅行の話をしたら 別の友人は「村上春樹の小説みたいに 半身を宮島に忘れてきたんじゃないですか」と言った

宮島に着いて 厳島神社の鳥居に行ったところまでは記憶にある ちょうど潮が引いているときで 鳥居のフジツボをさわったりした しかしそこからどうやって帰ったのかはほとんど覚えていない だから宮島に着くまでがキーなのだと思う ぼくの半身は宮島に行ったまま帰って来れなくなっているのかもしれない 帰りのフェリーに乗せてあげたいが どうしたらいいものかわからない

*1:吃音は3歳からあったが連発型のもので意識せずにすんだ これが難発のはじめでこの時はじめて吃音的現象を意識したように思う

体があるから恥ずかしい

「恥ずかしいという感情は規範から外れるときに起こる」と友人が言っていた。にしても、この体さえなければと思うことは多い。誰だってそうだがぼくも、この体に望んで生まれたわけではない。やたらとどもるし、同年代男子に比べて小さいことで、昔から悩んできた。今は折り合いをつけてしまっているが、小学生のころは神社にお参りしては「ことばがつまるのが治りますように。背が伸びますように」とお願いしたものだ。

体がなくて、認識の世界だけで人と関わることができればいいのにと思う。もし発言主体を何らかの形で実体化させないといけないとしたら、ヴァーチャルYouTuberを使えばいい。それならどもらないし、背も自由に選べるし、見た目もかわいくできる。映像技術はまだ進歩途上にあるから、ちょっとダサいところがあるかもしれないけれど、どうせ自分の体じゃないから恥ずかしくない

などと言ってみたが、先に書いたようにぼくは自分の体と折り合いをつけてしまっており、自分の体いいなと思うところもあるのである。どもるのはふつうに不便だが、研究対象としてはおもしろいと思う。背が低いというか正確には背が低く体重が軽いのだが、これもミニマリストっぽさが気に入っている。筋トレというものを多くの男子は中学生~大学生のころにしたくなるらしいが、ぼくは全くしたくならない。自分の体に筋肉がついている状態を美しいと思えないのである。筋トレするのは、今の体より理想とする像が他にあり、それに近づけようということであろうから、ぼくはこのミニマリスト的体が実は好きだとすら言えるかもしれない。

テレビでみる海外旅行の紀行番組に憧れていた。そこではビデオカメラが海外の町並みや自然を映していた。自分も海外に行き気づいたのが、そうだ、体があるんだった、ということだ。つまり、テレビではビデオカメラという体のない存在が町を歩いていたので、自分も海外に行ったら体がなくなると思っていたのだ。しかし体はやはりあるから、町の人に見られたり、物を買うときにコミュニケーションで手間取ったりしないといけない。海外に行けば恥ずかしい体から解放されると無意識に思っていたのだが、やはりどこに行っても付きまとうのであった。

体が恥ずかしくないのは、部屋にいるときがひとつである。野山でひとりでいるときもそうだ。プールで無心で泳いでいるときもそうだ。つまり、人がいなければ(あるいは気にならなければ)いい。人と関わるにしても、インターネットを介して文字で人とコミュニケーションをしているときである。文字ってすばらしい。それについても、文体という形で「体」が出ると友人は言っていたが、文字だとどもらないし、やはり恥ずかしさは減るように感じる。もっとも別種類の恥ずかしさが生まれる気はするが(好きな人に書いた手紙を何度も読み返して、ここは書き直そうとか何回もするやつとか)。

かつてぼくはコミュニケーションに悩んでいて、人前に出ると体をずっと気にしないといけなくて疲れきっていたから、多くの時間を部屋で引きこもってすごしたが、今はそうでもない。自分の体のことをあまり考えず人と関わる時間も増えてきている。いくらか、他の人に気に入ってもらえている感覚はあるのだが、人がぼくのどこを気に入るかというとそこにはこの体が含まれている。ぼくが他人に好感を、あるいは嫌な感じを持つときも、当然体は含まれている。

ぼくがこの世の中で何かするというときに、やはり体があるから意味があるのだと思う。抽象認識だけなら、ぼくよりよくできる人はゴマンといる。この体をしたぼくがこう言うから意味があるということは多いだろう。という当たり前の結論で終わってしまった。オチのない文章で申し訳ない。

吉田の小さな庭 Little Yoshida Garden

香港で様々な路上空間の実践をしているマイケル・ルン*1さんが、京都大学の立て看や吉田寮*2についての物語を書いてくれました。私、八木智大がマイケルと出会ったのは、彼が主催する大阪の刺繍ワークショップ*3においてでした。マイケルは香港で、再開発の危機に瀕している布市場「棚仔(広東語読みでPang Jai)」*4保全運動に関わっています。そこの布を使ったハンカチに、好きな刺繍をするというワークショップでした。京大卒業生で、当局の立て看や吉田寮への弾圧に怒っている私は、ハンカチに「自治」と記した立て看を刺繍することにしました。マイケルは数日後、立て看と吉田寮について英語で書いた物語を送ってくれました。許可を得て、日本人の友人の手を借りながら、日本語に訳しました。訳文と原文を以下に載せます。

 

Michael Leung*5from Hong Kong, wrote a story on Kyoto University Yoshida Dormitory*6 and the controversy regarding the Tatekan*7, free public speech on wooden boards. Michael is back home working with alternative usages of streets. I met Michael in Osaka at an embroidery workshop offered by him*8. In Hong Kong, Michael is engaged in the protection movement of the Pang Jai*9, the cloth market, which is facing the danger from the redevelopment of the city. This workshop was about making embroidery on Pang Jai handkerchiefs. I tried to draw on the handkerchief a Tatekan with the word Jichi, which stands for self-governance, because as a graduate of Kyoto University I was furious about the oppression from the University on the Takekan culture and Yoshida Dormitory. Some days later Michael sent to me a fiction written in English about Tatekan and Yoshida. With his permission, I translated it into Japanese with the help of my Japanese friends. Here I put the translation and the original.

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刺繍ワークショップで作った「立て看」 The "Tatekan" I made at the embroidery workshop

 

 

吉田の小さな庭

マイケル・ルンによる物語

 

2018年5月13日の日曜日京都大学当局は突如キャンパス周辺にあった立て看板、通称「タテカン」を警告なしに撤去した*10。壁に立てかけられた看板が、市の条例に違反しているという理由だった。タテカンは、ほかの学生たち、一般の人々、そしてまだ出会っていない人たちに向けて発せられた私たちの集合的な声だ。私たちは言論の自由を支持する意味で、車や人々が行き交う東大路今出川百万遍交差点に、新たにいくつかのタテカンを設置することにした。数週間後、不眠症でいつも夜中に赤毛の柴犬を散歩させているはるかおばあさんが、懐中電灯とワイヤーカッターを持った大学の警備員たちが、百万遍に残っていたタテカンをこっそり撤去したと教えてくれた。次の朝、5000人を超える学生たちが百万遍の交差点を占拠し、交通を完全に止めてしまった。私たちは救急車や消防車といった緊急車両だけは通したが、警察は決して通さなかった。

それからちょうど24時間後、私たちは交差点の中心からヒューマンマイクロフォン(*皆で一斉に声をあげることで、遠くの人に聞こえるようにする手法)で要求を伝え、必要なときにまたすぐに集まれる準備をして解散した。大学は一旦は立看板の規定を撤回し、公式の謝罪文をホームページ(日本語のみ)に載せたが、それらは翌日には消えていた。

大学はさらに、吉田寮の学生たちに対して、寮生の新規受け入れを中止させるよう圧力をかけている。築105年の木造の建物は、ネオリベ化し、教育システムが崩壊しつつある大学における、学生の権利と完全な自治の最後の砦だ。

この運動と勉学(私は食料環境経済コースの最終学年にいる)で疲れて果ててしまってはいるが、それでも進み続けなければならないことがある。以前、友人のあつこは僕に「未来は決心した人のものだ」と語っていたが、彼女は全くもって正しい。

大宮草山から京大に向かうバスのなかで私はさらに疲れてしまっていたが、香港から来た活動家たちの報告会が吉田寮であると聞いたので、寮に向かい、ベジタリアンの人たちが集う夕食の会に参加した。参加費は自分で自由に考えて支払う仕組みだった。私は香港は横洲*11のバラミツ酒を飲みすぎて、世界中の漫画と雑誌であふれた部屋のなかで眠りについた。目が覚めてから、部屋に貼ってあるZAD(フランスの空港建設反対運動キャンプ)のポスター*12が、開いた窓から入る日光を覆い隠していたことに気が付いた。

部屋にはふたりの学生がいた。彼らは寮の声明文*13の日本語版と英語版を小声で話しながら編集していた。あきことしんたろうだった(しんたろうはオリエンテーションキャンプで会った友達だ)。あきこは以前、百万遍の交差点で私に応援の言葉をかけてくれた女性だ。私はどうすればいいのかわからなかったが、私の代わりに、外のニワトリのうちの一羽がコケコッコーと答えてくれた。私たちはみな一緒に笑った。

皆でブラックコーヒーを飲んだあと、しんたろうは私に向かって「部屋を片付け終わったので、もし君が望むならタダで部屋をシェアしてもいいよ」と話した。私が実家からはるばる通学していることを覚えてくれていて、さらに私のたくさんの荷物とぼさぼさの髪に気がついたのだろう。こんな髪なのは自分の好みなのだが!

私は彼の提案に乗り、その翌日に引っ越した。しんたろうの部屋、今では私たちの部屋は2階にあった。その部屋は、ゆったりしていて、清潔で、物の配置もよく考えられていることに驚いた。その雰囲気は私に、トラン・アン・ユン監督の映画「ノルウェイの森」を思い起こさせた。

一週間後、ベジタリアンの人たちから、アヒルやニワトリがいる場所の隣にある誰も使われていない草地を耕そうと誘われた。あきこが彼らに、私が農業を学んでいる半農半X*14の実践者であったことを伝えていたに違いない。

私たちは毎週恒例の寮会議—建物の秘密の部屋で行われる—で、その耕地を「吉田の小さな庭」と名づけることにした。それは、東京は渋谷の宮下公園の外で食べ物を育てている友人たちにちなんだ名前だ*15。私たちが自らを組織化し団結するとき、未来は私たちのものであり、運命は共有されるのだと確信している。ガンバッテ!

 

2018年5月31日 京都

 

日本語訳 八木智大とその友達

 

 

Little Yoshida Garden

A fictional story by Michael Leung

 

It began on Sunday 13th May 2018 when without warning Kyoto University removed students’ signs around the campus. Apparently the signs, flat against the wall, breached a city ordinance. The signs are our collective voice: to other students; the public; and those we have yet to meet. We support free speech and installed a few new signs, now visible on the busy intersection of Higashioji-dori and Imadegawa-dori.

A couple of weeks later, we were told by obaasan Haruka, an insomniac grandma who walks her red Shiba Inu (dog) at night, that the university's security guards brought torches and wire cutters to quietly dispose of the few remaining signs on the intersection. The following morning over 5,000 students occupied the intersection, bringing traffic to a complete standstill. We only let the emergency services past – ambulances and fire engines only. No police.

After exactly 24 hours, we amplified our demands using a human microphone from the centre of the intersection and then dispersed, with the potential to reassemble, if necessary. The university retracted their signage policy and even wrote a formal apology on their website homepage (Japanese only), which they only displayed for one day*16.

Further down the road, the university is now putting pressure on the Yoshida dormitory students to stop accepting future residing students. The 105-year-old wooden building is the last bastion of student rights and full autonomy in the neoliberal university, a collapsing education system.

All this campaigning and studying (I'm in my final year of my Food and Environmental Economics course) has left me exhausted, but I know that I have to keep going. My friend Atsuko once told me that the future belongs to the determined. She's completely right.

My long bus journeys between Omiyakusayama and the university have further drained me. When I heard that there was a sharing from Hong Kong activists at Yoshida dormitory, I visited and stayed at the end for the give-what-you-think dinner that was cooked by a vegetarian cooperative*17. I drank too much of the Wang Chau jackfruit mead and fell asleep in a room that was filled with manga novels and zines from all over the world. When I woke up, a ZAD*18poster*19 eclipsed the sunlight coming in through the open window. 

I saw two students in the room with me, whispering and editing the Japanese and English versions of the dormitory's manifesto. It was Akiko and Shintaro (a friend that I met during orientation camp). Akiko recognised me first from the intersection and gave me some words of encouragement. I didn't know how to respond, and instead one of the chickens outside timely clucked and answered for me. We all laughed together.

After a pot of black coffee, Shintaro told me that he has finally tidied up his room and that if I wanted to, I could share the room with him for free. He remembered that I lived far away with my parents and could see the bags forming under my eyes, and my scruffy hair. The latter is a personal choice!

I took him up on his offer and moved in the following day. Shintaro's room, now our room, was on the second floor. I was amazed by how spacious, clean and well-curated the objects in the room were. The atmosphere reminded me of Trần Anh Hùng's Norwegian Wood.

After a week, I was invited by the vegetarian cooperative to farm on the unused green space next to the ducks and chickens. Akiko must have told them that I was studying agriculture and was a FarmerX*20.

At the next weekly dormitory meeting, in the secret room of the building, we decided to call the farming area 'Little Yoshida Garden' in reference to friends who are growing food outside Miyashita Park*21 in Shibuya, Tokyo.

When we are organised and unite in solidarity, I know for certain that the future belongs to us – a shared destiny*22. Gambate!

 

31st May 2018, Kyoto

 

Translated Japanese by Tomohiro Yagi and his friends

 

 

 

訳文を作ったのは、遠く香港にも応援してくれている人がいるということを示したかったからです。マイケルの物語中にもありましたが、世界中の様々な場所で権力による人々への弾圧がなされています。国境や言語の壁をこえて、共に闘っていくことができたらいいと思います。

 

八木智大

 

 

I made this translation because I wanted to show that even far away in Hong Kong there are people who are supporting us. As is shown in his story, in many parts of the world people are being oppressed by authorities. I hope that we can all unite and fight together, beyond boundaries and language barriers.

 

Tomihiro Yagi

夜寝るのが怖い/嫌だの当事者研究会

だいだいハウスの当事者研究のお知らせ

 

こんにちは。八木智大と申します。

 

突然ですが、ぼくは夜寝るのが怖いです。特に夜の1時半~2時半くらいに、部屋の南側にご先祖様の気配を感じます。それが怖いので、布団は部屋の北側に、東西に長くなるように置いて、部屋の南側は黄色い豆電球をつけて、そっちの方を向いて寝ています。反対側を向いて眠りにつくのは、見ていないすきに襲われることを考えると、怖くてできません。昔、金縛りに遭ったことがあって、それが本当に怖かったので、また遭うのではないかといつもビクビクしています。

 

ご先祖様には、怒られているような感じがするのです。心当たりがあるのは、同居している祖母ばかりに家事をさせて全然手伝っていないことです。だからそれをしたらいいのかもしれませんが、めんどうくさくてする気になっていません。布団に横になって電気を消すまでは、怖さを忘れているためです。

 

ということについて、テーマに共感した方、聞くだけでもおもしろそうだと思われた方、いらしていただけますとありがたいです。

 

日時 6/7(木)19時から

 

場所 だいだいハウス(叡山電鉄茶山駅から徒歩30秒なので場所がわからない方は茶山駅に着いたら連絡ください。迎えに行きます)

参加費なしですが、場所のためのカンパを集めています。

 

ご飯 ご飯と味噌汁だけあります。

材料費適当にカンパ

食べる人は事前にお知らせくださったら助かります。

マイノリティ性を自ら語ること−−バリバラ「どきどきコテージ」の批判から−−

 ぼく自身が出演したNHKのバリバラ「どきどきコテージ」について、批判文を書きました。そのことについて記します。(ツイッターに載せた文章を編集しています)

choyu.hatenablog.com

 バリバラの批判文に書いたことは、本来は収録前に制作者に伝えられたらよかったし、それが筋だとは思います。収録・放送で違和感を感じたことはいくつかありましたが、そのうちのひとつ、恋愛っぽさがあることは打ち合わせのときから聞いていて、その時から違和感を持っていました。でも、ほとんど伝えられませんでした。それはぼくのコミュニケーション力不足もありますが、「恋愛っぽさ」は制作者の中では確定事項で、どう言ってもぼくの意見は取り入れられないだろうと感じたからでもあります。強く言っても、「考えておきます」と流されるか、「わかりました」と嘘を言われるか、「なら出なくていいです」と言われるかだと思いました。

 テレビはそういうものと思われるかもしれませんが、少なくともぼくが前回(2016年秋)に出たバリバラでは違っていて、吃音でぼくについて撮るということを決められてからは、何度も打ち合わせをし、ぼくの提案も検討し取り入れてくれました。もちろん限界はありましたが、今回とは全然違いました。

 前はぼくがメインの人物であったのに対し、今回は8人もいたという状況の違いがあります。今回は一人一人の意見をしっかり聞き、打ち合わせもするというのは難しかったかもしれません。けれども、制作者があらかじめ決めた番組の型の中で役割をこなすのみというのは、無力感が強かったです。収録の中でできることは精一杯しました。けれど、番組をどう作っていくかというところから関わりたい、関わらないといけないと思いましたし、それでしかバリバラが言う「マイノリティのための」番組にはならないと思います。

 「恋愛色を出すなら出演しない」と言って断ることもできたのに、そうしなかったのは、私のことになりますが、収録してそれが放送されること自体は楽しく学ぶことも多そうだったからで、実際にそうでした。場面緘黙の人とちゃんとかかわったのは小学校以来でしたし、放送をきっかけにSNSを介して親しくなった人もいます。これらの出会いは本当に貴重であり、今後も多くのことを学ぶことができると予感しています。

 ぼく自身について言えば、出てよかったです。にもかかわらず今回批判文を書いたことは、機会を与えてくれた制作者を裏切ったようで心苦しさはあります。制作者はおそらく裏切られたと感じているでしょう。しかし同時にぼくも、収録での設定と放送された番組などから、裏切られたという感覚を持ちました。

 それはぼく個人が裏切られたということにとどまらず、社会がつちかってきたマイノリティ性への意識が裏切られたということです。番組への人々の反応—差別や偏見が再生産されていることを無視して、すばらしいものとして受容してしまうこと—もまた、それを裏切っていました。

 今書いていて「無力感」という言葉が出てきましたが、我が言葉ながらその通りだと感じ入ります。(打ち合わせ時からうすうすわかっていたこととはいえ)いいように使われた感じは放送後さらにつのり、胸の内がずっともやもやしていました。それに耐えられず、批判文を書きました。そうせずには回復できない感じがしました。

 ちなみにバリバラ制作者たちはぼくが見る限り、「マイノリティ性に関心がある→バリバラの仕事をする」ではなく、「バリバラの仕事が与えられる→番組になりそうなマイノリティ性に関心を持つ」という印象です。与えられた仕事を、NHKや今の社会の枠を超えて、本当に誠実にこなしていただけるといいのですが、やはり当人に当事者意識を伴ったマイノリティ性への洞察がないと、それは難しいのだなというのが、バリバラに3度(3度目はもうすぐ放送される)出た印象です。

 ぼくはマイノリティ系の集まりが好きで、吃音以外にも色々行っているのですが(当事者研究会、非モテの会、在日コリアンの会など)、そういうところで出会った人たちの方が、バリバラの制作陣よりマイノリティ性についてよほどしっかり考えています。あるいはツイッターやブログなどで発言されている方にも、すばらしい洞察をされると思う方が大勢います。それは今のぼくにとっては当然ですが、バリバラに出てちゃんと番組を見るまでは、「しっかりした意識を持っている人が作っているんだろうな」と思っていました。でも、マイノリティ性への真摯な意識があれば、あのような番組は作れないはずです。

 何が言いたいかというと、当事者の語りこそが最も信頼できるということです。自分たちでどんどん語っていくのが、遠回りなように見えて、最も確実で本質的な社会変革となるのです。バリバラのようにテレビを介すると、普段はマイノリティ性を考えないような大勢の人に一気に伝えられて、近道であるように見えますが、実際はその過程で多くのマイノリティ性を損なってしまうのです。権力や権威に頼るのではなく、自らの力を信じそれを使うのです。その力を誰しもが持っています。

バリバラ「どきどきコテージ」の問題点

 毎週日曜日の夜7時から、NHKEテレで「バリバラ」という番組が放送されています。バリバラとは「バリアフリー・バラエティー」から来ていて、障害者などマイノリティーが直面させられている「バリア」の解消を目指す、バラエティー番組と解釈しています。その中の企画で、2018年の1月21日と28日の二週にわたって放送された「どきどきコテージ」というものに、ぼくは吃音の当事者として出演しました。

 どういう企画か、ホームページから引用します。

NHK バリバラ | 「どきどきコテージ」前編 ~ぎこちない出会いの巻~

ある海沿いの町に不思議な力をもつ宿がある。その名も「どきどきコテージ」。ここに8人の男女が集い、2日間をともに過ごす。彼らは、吃音(きつおん)や場面緘黙(かんもく)のため、修学旅行で輪に入れなかったり、恋愛に一歩を踏み出せなかったり、“コミュ障”のレッテルを貼られた経験を持つ若者たちだ。彼らに共通する参加動機は、人と前向きに関われるようになりたい、ということ。沈黙が続くぎこちない出会い・・・果たしてどんな交流が生まれるのか?2回シリーズでお届けする。

 NHKという多くの人が目にする媒体で、吃音や場面緘黙を取り上げてくださったことは、すばらしいことだと思います。当事者として吃音についていえば、世間の認知度があがると、どもったときに笑われたりすることは少なくなるでしょう。

 しかし、今回の取り上げ方は様々な問題をはらんでいると、出演し放送を見て思いました。以下に指摘していきます。

 まず、いま引用した文章について述べます。「吃音や場面緘黙のため、修学旅行で輪に入れなかったり、恋愛に一歩を踏み出せなかったり」とありますが、これは世間の偏見をそのまま引き継ぐ文章となっています。吃音や場面緘黙だと友達や恋人ができにくいというのは、傾向としてはあると思いますが、出演者がその当事者であるからそうであったと、当人に聞きもせず決めつけるのはまさしく障害に対する偏見であり、またこのような文章を公開することは、偏見を世間に広めることになります。

 他に、「参加動機は、人と前向きに関われるようになりたい、ということ」とありますが、これも場面緘黙や吃音の人たちは「人と前向きに関わ」ることができていないという決めつけです。ぼくはそんな参加動機は言っていませんし、人と前向きに関わることができていないという自覚ではありません。

 また今回は、恋愛っぽさのある演出がされていましたが、それには違和感がありました。確かに、吃音や場面緘黙の人が、恋愛関係を作るのが難しいという傾向はあると思いますが、だからといってテレビ局に恋愛の場を提供してもらうことは望んでいません。恋愛要素が入れられたのは、障害ばかりでは「重い」から「リラックスできるほほえましいものを」という意図だったのかもしれませんが、ぼくにとって恋愛は生きるか死ぬかの問題であり、取り上げるならもっと誠実にしてほしかったです。収録では男女別に部屋に集められ、「誰が一番いいと思った?」などという質問がなされました。それが全国に公開される可能性を考えるとぼくは答えませんでしたが、質問すること自体が失礼だと思います。

 そもそも、どうして男性=吃音、女性=場面緘黙となっているのでしょうか。確かに番組中で説明されていた通り、吃音が男性に多く、場面緘黙が女性に多い傾向にはあるのですが、場面緘黙の男性や吃音の女性も充分な割合がいるわけです。なぜ多数派に合わせるのか説明がほしいところです。ディレクターに直接問うたところ、吃音=男性、場面緘黙=女性となっていた方が、視聴者が「この人は吃音だったか場面緘黙だったか」と混乱せずにすむからと言っていましたが、やはり「恋愛ありき」になっているから、そのような設定がなされたのかと思います。

 また、自己紹介や皆の前で食事をする場面がありますが、それは健常者社会で「そうするもの」と決まっているのにすぎないのであって、吃音の人と場面緘黙の人とが関わるなら、必ずしもしなくていいし、するにしてもやり方がもっとあるように思います。「障害を紹介する」という番組の性質上やむを得ない面もありますが、わざわざ緊張しやすい場面を設定して、顕著に現れた症状を撮るというのはどうかと思いました。

 最後に、本編中の事実的な改変を指摘して終わります。

  • 「参加者はみな志願してくれた」とありますが、ぼくはディレクターからの出演依頼を受けて出ています。
  • みなで食事をする場面で、かぶりものをして場がなごんだ結果、それぞれの悩みを話すことができたとなっていますが、実際は「悩みを話そう」というコーナーがあってのことです。
  • 水族館で男女の出演者2人が「いつのまにか2人に」なったとナレーションが入っていますが、これは事前に「ここからは2人ずつに別れましょう」と決めたものです。
  • 写真が好きな場面緘黙の人が、「これまでほとんど撮ることができなかった、人の写真」を、水族館での関わりがあって撮ることができたという描写がされていますが、実際はその写真を撮った後に水族館に行っています。

 こういった事実的な改変は、この番組が一応「バラエティー番組」であるから演出の一部として許容されると考えているのかもしれませんが、ぼくら出演者は役者でもタレントでもないのです。バリバラは市井の障害者を取り上げる以上、本質的にドキュメンタリー性を持つでしょう。バラエティー要素を入れることは決して悪いことではありませんが、それを言い訳に制作者が真実性の追求を捨てるとしたら、本末転倒です。企画も編集も、当事者である出演者はほぼ関わることができずになされています。バリバラ制作者は、話題になることばかりを志して、一番大切なものを忘れているのではないかという危惧を申し上げて、終わりにします。

【気功に学ぶ京大生活】京大卒の気功の先生 天野泰司さんインタビュー

以下は私、八木智大が京都大学に在籍していた2016年5月に、気功協会の天野泰司さんに対して行ったインタビューです。もともとは京大生向けのメディアに載せるつもりでしたが、様々な事情があって載せることができず、遅ればせながら私個人のブログに載せることにしました。よって大学生(特に京大生)向けの話になっていますが、一般にじゅうぶん通用する内容ですので、広く読んでいただけると幸いです。以下から記事をはじめます。

 

気功は中国由来の健康法だ。天野泰司さんは京都大学農学部を卒業し、今は気功の先生をされている。記者も教室に通っているが、気功にもとづいた考え方がおもしろい。学生生活や学びについてお話を聞いた。

 

〈天野泰司さんプロフィール〉

NPO法人気功協会運営責任者。京都造形芸術大学非常勤講師。1965年東京生まれ。12歳から高校卒業まで宮崎に育ち、京都大学農学部に進学、卒業。新卒で入社した鐘紡食品研究所を1994年に退社後、気功に専心。著書に『はじめての気功: 楽になるレッスン』 (ちくま文庫) 『気功の学校 自然な体がよみがえる』 (ちくま新書) 『治る力 病の波を乗りこなす』(春秋社)など。2000年に気功協会を設立。2013年より京都造形芸術大学の通信教育で気功の授業を担当している。Website 気功のひろば(NPO法人気功協会)

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天野泰司さん

 

<悩むことは楽しいこと>

 

−−−−天野先生も京都大学を卒業されています。京大で学ぶときに、どういうことを意識するとよいでしょうか。

 

 京都大学には自由の学風がありますね。最近はハリボテ作りの折田彦市(1849-1920)先生像が毎年受験シーズンに姿を現しますが、元々はちゃんとした胸像が立っていました。その折田先生が、京大の「自由の学風」を作った方です。自由は本来、生命にとって自然なものです。ただ、折田先生の生きた時代は、今と比べると、お国のために、戦争のためにと、言論、研究への統制がありました。そんな中でも、自由を維持して、毅然とした態度をとってきた。それが今も生きています。

 大学で学ぶということが、様々な知識や技術を身につけるだけではないことは、みなさんよくお分かりだと思います。大学で学ぶということは、新たな気づき、創造へと向かっていくことです。その時に、自由が大切になります。どこかに制限があると、本来の気づきが訪れない。新しい何かは、無限の広がりを持った「自由」の中から生まれて来ます。

 学生生活で、迷ったり悩んだりすることがあると思いますが、悩むことも自由ですから、おおいに悩んでください。結論が出ない時は、体がワクワクする方向へ向かえばよいです。体の中にある自然のセンサーを働かせるには、ポカンとして一度頭の中を空っぽにします。そして、体に聴くんです。「どっちにしようかな」と悩んでいたそれぞれを思い浮かべて、何だかワクワクするものを選びます。すると悩んだらいいし、悩まなくてもいいということが分かって来ます。どの授業をとろうかとか、どんな進路に進もうかということは、実はそうやって悩むこと自体が楽しい作業で、悩むことは苦しみではありません。苦しみはその先の不安を思い浮かべて、頭の中が不安でいっぱいになることから生じてきます。例えば就職にしても、こっちは難しそうだ、こっちは給料が安そうだ、落ちたらどうしよう…と、不安は探し出すと次々に見つかるし、増えていくものです。ですが不安をあっさり手放して悩むことに専念すると、悩む事自体が楽しくなってきます。それでも頭であれこれ考えた末に選んだものは後になって悔やむこともありますが、体に聴いて決めたことは、後で悔やむことが少なくなります。自然の流れにそって進む方向を決められるようになると楽になり、悩むこと自体も減っていきます。

  

 

<自然にあった気持ちよさ>

 

−−−−気功をするときはどういうことを意識すればよいでしょうか。

 

 気功をやっているときは、気持ちよさに完全集中します。目的意識からぱっと離れてしまうと、効果が出てくるんです。それは潜在意識が、意識で強く思ったことに必ず反発するからです。気持ちよくやっていると、いつの間にか変わってしまう。ただ、その気持ちよさが、自然にあっているかが大切です。不自然なことをやっていて、気持ちがいいと思っても、それでは不自然なことを体にインプットしてしまっています。

 

−−−−気持ちいいことが、自然か自然でないかはどうやって判断できますか。

 

 不自然な気持ちよさはエスカレートしていきますが、自然な気持ちよさはその場ですべて満足します。自然界に生きているものはたいへんなことにも出会うけれど、そのつど全面満足です。動物も、植物も、細菌も満足です。動物でも、動物園で長く飼われているものは、不満があるかもしれない。その場で満足できて、エスカレートしていかないものが自然の範囲です。

 

 

<習慣化すること>

 

−−−−子どものころも、体のことをされていたとご本で読みました。

 

 宮崎の田舎の中学に行っていましたが、中国式の目の体操があって、毎朝放送部がカセットテープで流してくれるんです。全校生徒一緒に目の体操をして、最後に瞑想をして終わります。毎朝していたのは影響が大きいです。同じ時間に毎日するのが大事。なぜなら、習慣化するからです。色んな時間にばらばらにするよりも、時間が決まっている方が、無意識の習慣になる。朝になるとスイッチが入るわけです。それはとても助かっている。どの学校でもやればいいと思うんですけどね。特に高等教育に入る以前は、習慣として身につけたらいいことをやればいい。高等教育に入ってからは、好きなことを研究すればいい。それまでは、詰め込むことは不要なんです。

 

−−−−詰め込むことと、習慣化することは違うんですか。

 

 知識を養うんじゃないんです。そこで養うのは、人間性のようなもの。昔の日本の教育は、人間性を養うところが大きかった。ですが今は、はじめからテクニックとしての知識を教えてしまっている。そうすると、人間性を育てるための時間が欠如してきます。いまは学校がある以上、カリキュラムも必要で、その中で上手にやっていくしかないです。が、高等教育以前の学校がするべきなのは、こんな知識がありますよと、パックにして渡していくだけでなく、人が最もその人らしく生きていくための土台を作ることです。その意味で、瞑想のような時間は有意義です。ちょうど、私が担当している京都造形芸術大学の通信の授業で、北京にお住まいの方がレポートをくれたのですが、目の体操は「眼保健操」といって、今も北京の小学校の休み時間にやっているようです。同じように、日本の学校でも、こころを落ち着けて瞑想や目の体操をしたら、どれだけ効果があるかわからない。

 

 

<子どもに戻る>

 

−−−−ぼく自身、「進学校」といわれる私立の中高一貫の男子校で、知識中心の教育を受けたのですが、大人になった今からもう一度、必要な人間性を学ぼうと思うと、どうすればよいのでしょうか。

 

 それは気功の大きなテーマの一つですが、一度子どもに戻るということです。子どもに戻ると、基礎的な素養のようなものを学ぶ余地ができてくる。ところが大人の状態、それも思考が中心になって働いていると、基礎になるようなことが全然吸い取れないんです。赤ちゃんが見本と老子が言っていて、赤ちゃんみたいに生きようじゃないかと、気功も発展していきます。思考的な働きがぽーんと飛んで、体の感受性がひらかれていて、ゆるゆるで、体もこころもやわらかで、通りがいい状態を作っていく。通りがいい状態をつくるのも気功だし、通りがいい状態でしていくことも気功です。後天的に身につけてきたことは、役に立つところもありますが、本当のことを学ぼうとしたら一回それを捨てなくてはいけない。捨てたからといってなくなるわけではないので、安心してぽんと捨ててしまえばいいです。

 

 

<性は他人のために動くこと>

 

−−−−『気功の学校』に書かれていましたが、「性は人の役に立ちたいという願い」というのがおもしろいとおもいました。

 

 それは整体の野口晴哉先生が書いていたことですね。それがふつうのことで、特別なことではないと、皆さんが思われるようになるといいと思います。人類が続いてきているのは性の働きがあるからですね。子どもを育てて、また新しい子どもができて…というつながりがある。それら全てが性です。その中の一部分だけを性として見がちですが、それを広い目で見るようになると違ってくる。

 

−−−−大学生で性に悩むことなどは多いかもしれません。

 

 年齢的に性の働きが顕著になる時期ですから、性やセックス自体に興味が出るのは正常です。あ〜よかったね〜ということですね。ただ、それが大きくなりますから、分散させることが必要なこともあります。

 

−−−−恋愛ができない、うまく行かないという悩みがあります。

 

 基本的に性というのは、他人のために動くことで、エネルギーを昇華していくということです。誰かを好きになる、その人のために何ができるかと考える。その人を自分のものにしようとするとそこに苦しみが出てくる。どうやっても自分のものにならないですから。自分の力をその人に対して出して行ける人が、自然に近くにできます。それを待つといいです。

 

−−−−誰でもそういう人ができるものですか。

 

 体の中にそういう欲求がある人はできます。それは頭の中の欲求とは別物です。子どもを作って子孫を増やしていく方向に動いている方は、自然に恋愛をして、自然にその人に尽くすようになる。そういうことをしない人もいる。それは体の欲求がないからなんです。他のところでエネルギーが大きく動いている。だから、必ずしも、パートナーを作らなくてもいいんです。

 

 

<体の欲求を原点に生きる>

 

−−−−結婚や子育てなどは経済的な問題もあります。

 

 経済を原点に据えないことです。経済を原点に据えると、生き方が狭くなってしまう。

 

−−−−では、何を原点にして生きればいいですか。

 

 体の欲求です。それは命の声みたいなものです。魂の叫びと言ってもいい。そうやって生きていると、性が当たり前になるんです。体の欲求に沿って動いていたら、人のためになることがメインになってしまう。することの中身は人によって違いますが、思わず人のために動いてしまう。それが一番気持ちがいいからです。性って気持ちがいいものじゃないですか。人のために動くのは、ものすごく気持ちがいい。でも、その気持ちよさを、ほとんどの人がいま、体験していないんです。

 経済は道具でしかないんです。戦中戦後を体験した方とか、すごく強いです。一回何もない状態を体験しているから、どうやっても生きていけるという確信がある。でも今の人は、ちょっとでもお金がないと、生きていけないと思ってしまう。でも実際はお金がなくても生きていけるんです。日本に、お金がない人のための補助制度ってたくさんあるじゃないですか。それを目当てに、海外からたくさんの人が来るんです。すごい国ですよ。ところがみんな、お金がないと生きていけないと思っちゃう。おかしなことですよね。それで自殺までしたりとかね。どれだけ狭い視野の中で生きているのかということです。

 また、今の人たちは、経済的なことで脅されると、すぐにゆれてしまう。あるいは経済的なものを前につるされると、すぐに動いてしまう。それが今の日本を、作ってしまったんです。なんで原発があれだけ増えたか。みんな、経済的なにんじんがぶら下がっているわけです。過疎になると、仕事がなくて収入もない。原発が来れば全部それが解決される。そういう構造で、全部地方に持って行ったんです。人間がやってきたおかしなことの中に、経済による脅しと誘惑がありました。でもそれを外していくと、ずいぶん自由になれる。

 経済を考えずにやっていると、経済が後からついてくることがあります。山科にある一燈園西田天香さんの生き方はそうです。完全に無一物、路頭の生活をされました。何もない、何も持たない、けど生きていける。それを大正から昭和初期にかけてされました。非常に画期的なことでした。それは、とても充実した生き方だったんです。生きていること自体が、満足の連続なんです。経済にしばられないで、本当にやりたいことをやっていくのは、満足の連続なんですよ。もちろん、お金を稼ぐことも、やってもらって構わないのですが、そこにしばられないことです。どんなにお金を見せびらかされても、ゆるがない。どんなにお金で脅されても、従わない。それが自立です。体の本来の欲求に従って生きていれば、自立が起きるんです。

 私自身、あまり収入はないですが、なければないで結構楽です。収入が低いと税金も安いですからね。きちんと働いていて、なおかつ収入がちょっと少なめという方が、実は一番苦しいのかもしれない。稼ぐ人はたくさん稼いでくれたらいいんですよ。楽しく、満ち足りた気持ちでね。もっと稼がなきゃというんじゃなくて。

 

 

<自由な学生生活の延長で生きる>

 

−−−−京大生で就職先など悩んでいる人も多いと思います。

 

 京大生そんなに悩まないでしょう。

 

−−−−いえ、今は京大生だからって採用される時代じゃないです。

 

 違う違う。学生の生活の土台がね、普通の大学に行ってるのと違いますから。

 

−−−−違いますか。

 

 違いますよ。例えば吉田寮に住んだりしたら、月々数千円で生きていけるじゃないですか。実際に寮に行く人は少ないですが、そういうことができるくらい、他の大学と比べてもライフスタイルが自由です。その土台があったら、働くということに対してもかなり自由度があがる。京大生が苦労しないというのはそういうことを言ってるんです。授業も出ないで、部活やサークルなんか遊びほおけることができるじゃないですか。そうやってあまり勉強しなくても卒業できたりするのは京大生の強み。それが生きてくるんです。

 京大的な自由な生き方が学生時代にできるのは貴重なことです。ところが文部科学省はなるべく縛りを厳しくして、意味のない学部はなくすとか言っている。

 みんな学生時代はやりたいことをやったらいいです。その延長で、その後も生きていけばいい。それはね、やりたいことが間違っていてもいいんです。間違っていても、本当にやりたいことをやっていれば、どこかで修正される。でも、やりたくないことをやっていたら、修正がききにくいんです。だから、自分の体が動いていく方向を目指します。それを、体の面で淡々とやっていくのが、気功なんです。こんな感じだなあというのをそのまま出して行く。そういう経験って日常で意外と少ないわけですね。それを習慣化していく。あ、こっちの方に動いたら気持ちいいなというのを、そのままやっていく。どんどん力が抜けていく。これがなかなかいいぞ。そのままやっていく。楽な方へすっと動いていく。毎日充実する感じを作っていく。それをそのままやっていく。そこに、一定の技術がからんできます。それはふつう技術と呼ぶほどのものではないのかもしれないけれど、例えばゆっくり手をなでるとか、それがどれくらいゆっくりかを体験すると、技術であるということがわかってくる。ゆっくり首をまわすといっても、普通のゆっくりじゃなくて、気功では一分、二分、場合によっては三分や四分かけてまわしてもいいのです。そうすると、全然違った質の体験が起こる。それは体と向き合わざるを得なくなるからです。体の欲求に外れていると不快になってくる。いかに体の本心とコミュニケーションを取っていくかが、気功の核心です。だから、単純なことを十五分くらいやって、それを一週間続けるだけでものすごい変化が起こってくる。

 日々真剣に生きるのは大事ですよ。その瞬間に悟るかもしれない。世界が変わるかもしれない。それは、何か努力して打ち立てていくものじゃないんです。もともとあるもの。その充実した世界に、ぱっと入っていくことができるんです。あるから。作るものじゃないんです。引き寄せの法則がはやっていますが、幸福を引き寄せるという考え方はあまり望ましくない。あるんです。引き寄せなくても。引き寄せようとしないのが、幸福になっていくキーポイントなんです。無理に幸せになろうとせず、手放してしまうんです。

 就職は、ぴんとくるところへ行ってください。ある意味、勘です。仏教的なことばを使えば、縁があるところに行けばいい。そうしたら、頭で動いていなければ、必要なことをそこで学ぶことができます。そこで給料を得るとかいうことではなくてね、そこで何を学ぶかなんです。遠回りでくだらないことのように見えても、振り返ってみればすごく大切なことを学んでいたということがあるんです。最初からかちかちに考えないで、なんかここ呼んでるぞ〜と考えたらいい。なんかピンと来たところです。それも恋愛と似てるんですよ。あ、なんかこの人とピンときた感じを大事にする。それが、どうなってもいいということです。最初の就職先に一生涯勤めるという時代でもないですからね。どう変わっていってもいいんです。その自由度があってはじめて本当の学びが起こってきます。恋愛もそうです。その人と一生涯付き合わないといけない、その人の家庭を一生支えないといけないということじゃなくて、いつ別れてもいい、いつまたその充実した関係が戻ってきてもいいという状態で、付き合うんです。恋愛だけに限らない。あらゆる人間関係に同じことがいえます。ただ、男女間は子孫を作ることが強力に働きますから、引き合う力が大きい。だから逆に難しい面があるわけですね。

 就職を恋愛と考えたら、向こうがほしいけどこっちが見向きもしていないということがあります。そういうところも開拓してほしいですね。全然目につかない、そんなところ就職先としてあるんかな〜というところに京大生が入ったら大きな力になるんです。大きな企業に入ったらぺーぺーですが、そういうところに入ったらいきなり主任ですよ。そうやって動かしていくことができる。

 

−−−−京大生は大企業を志す人が多いように思いますが。

 

 それも全然いいんですよ。それも一つの恋愛のパターンです。私自身ね、いくつか受けましたけれども、企業のデータを比べてもわからないところがあるじゃないですか。それで昔、河原町の母と呼ばれる有名な占い師が、四条河原町の角にいつもいたんです。占ってもらったら、「大きな船に乗りなさい」といわれ、一番大きなところにしたんです。そんなもんです。どこでもいいんです。ご縁があれば、両想いであれば。

 

−−−−最後に、京大生におすすめの気功を教えてください。

 

 「心がおちつくやさしい気功」の動作は全部で10あるのですが、全部が出来ない時は、ゆっくり首をまわす動作をやってみてください。まず頭をぶらんと前にぶらさげて、一度ゆっくり息を吐きます。それから頭の重みで自然にころがっていくように、ゆっくりゆっくり、スローモーションのように回っていきます。後ろに頭が倒れるときには、あごがゆるんで口がポカンと開きます。回数は考えずに、淡々と気持よく好きなだけ回して、適当なところで反対向きに回します。こうしてゆっくり首をまわしていると、今まで気がつかなかった凝りや疲れや痛みなどに気づくことがあるかもしれません。そうして無意識に抱えているものが表面に現れてくることから変化ははじまり、一気に首がほぐれてきます。首は頭と体とをつなぐ重要なポイントですから、首がほぐれることで、頭に上っていた気がおりて頭がポカンとして楽になるし、体が頭の一方的な指令から自由になって、体も不思議なほどすっと変わっていきます。京大生は頭を使うことは得意でしょうから、この首まわしを覚えておくだけで、いろんなときに役に立つだろうと思います。ポイントはゆっくりです。現代は、より速くと、スピードを求めがちですが、手速く作業しようとすればするほど、仕事は雑になりがちです。その逆に、ゆっくりにしてみると、まず余分な力みが消えます。そして今まで気づかなかったことに気づきだし、ていねいで質の高いことができるようになります。いちど質の高いゆっくりを体験すると、今度は、その質を保ったまま速くすることもできるようになります。ゆっくり動くと、体とのコミュニケーションの情報量が圧倒的に増え、体との対話が深まるので、次々に変化していくのです。

 「心がおちつくやさしい気功」は、まずは動画を見ながら気楽にやってみてください。最低7日間続けてみることをおすすめします。京都造形芸術大学の通信の授業でも体験してもらっているのですが、2、3日やってみている間はまだ新しい質の動きに馴染んでいる段階であまり変化が感じられないのですが、4、5日経った頃から体の変化に気づき出し、たった7日間で人生が変わるような経験をされる方が何人もありました。気功は、一生懸命に頑張ろうとする方向とは逆の方向に進んでいくのです。楽な方へ気持ちが良い方へ、自然に動いていく。それは、全ての動物に共通した自然な方向性で、生命の基本的な性質とも言えるでしょう。その原点の自然へと、回帰していくのです。

吃音で悔しいこと

吃音で悔しいことって、職業選択の幅が狭まるとか、そういうことじゃないかとみなさん思っていると想像するんですが、ぼくの場合意外とそうでもなくて、もっと日常的なことなんです。高知県宿毛に一ヵ月だけ住んでいたんですが、そこで自転車を袋に入れてバスに乗ってきた人がいて、旅人同士親近感がわいて、その人に話しかけようかとおもい、でも結局やめたんですが、もし吃音じゃなかったら話しかけていたのではと思ったりするんです。また、そう思ってしまうのも、吃音を言い訳にしているようで嫌だなーと思うんです。

職業選択とかは、昔は本当に幅が狭まったと思うんですが、今は法律で合理的配慮を求められるようになっているし、手帳を持っていたら法定雇用の枠も使えるし、社会が進歩したおかげでそこまでマイナスでもなくなってきたと思うんですね。例えば結婚も、一昔前の、結婚が家と家との結びつきだった時代は、吃音など障害はマイナスだったでしょうが、恋愛結婚の現代だとマイナスにはならないでしょう。

でも、こういう人と人との一瞬の出会いみたいなのは、法律や制度がどうとかいう話じゃないから、むしろ吃音それ自体と一番深く向き合うことになるなーと思うんです。相手が吃音を知っているかどうかもわからない、どもって話しかけたら変な人と思われるかもしれない、そんなときにどうその人とかかわろうとするかというのが、すごく根本的なところなんじゃないかなーと思います。

バリバラの反響から

NHK バリバラ | 「どきどきコテージ」前編 ~ぎこちない出会いの巻~に出た

twitterみると反響が大きくてびびる 場面緘黙の人たちがすごい書いてる 吃音より場面緘黙の方がたいへんな傾向にあって 彼らかなり悩んでるっぽい

対してぼくは吃音ではもうあまり悩んでいないのである 現実的にいろいろたいへんさはあるけど まあ仕方ないというか 折り合いをつけてしまっている

「勇気を出して出てくれてありがとう」みたいな文章をtwitterでみるけど 別に勇気なんて出していないのである NHKから出てほしいと言われ 「また出れるのかー まえ楽しかったし今回も楽しいだろう ラッキー 近鉄特急にも乗れるし 志摩にもいけるぜー」 くらいの気持ちである

しかし思うに こうしてあまり悩んでいない人が出るのが大事なのだ それを見ていま悩んでいる人は あぁ…なんかどもってるのにあまり悩んでいないっぽい人がおるな と思い 自分も悩まずにすむのかもしれない と未来を思えるのである

ぼくも昔は悩んでいたのである 中学や高校のころは毎日ずっと吃音のことを考えていたのだった

あまり悩まなくなったのは 現実世界への適応が進んだからではあるが しかしそれで失ったものがなにかあるのかないのか と時々考える 別に失ってよかったもののようにも思えるし そうでないようにも思える 当時読んだ本はかつてほどの切実さをもっては読めないがいま読んでもおもしろいし 当時の気持ちを文章につづることもまあできる

悩まなくなったのは 「どもることは悪いことじゃない どもるときは恥ずかしいけれど 恥ずかしさを乗り越えよう」という考えを実践しはじめてからであった たしかに障害を「恥」としているのは旧社会的な考えであるように思う 車いすの人もふつうに道を歩けば(こげば)いいし 吃音の人もどもって話せばいいとは思う しかし同時に自分がどもるのを押して話すとき 「恥ずかしいという感情を封殺しようとしているな」とも思う

前に「恥ずかしさって何だろう?」を哲学カフェでやった 「恥ずかしさ」は大事な感情だ 自分の本心に気づかせてくれるものでもある 「障害が恥ずかしい」というのは 旧社会的価値観を内面化している面があるのは確かだが それが100%とは言えないように思う 「動物として 弱いところを見せるのは生存競争上損」というのもあるだろう 他にもなにか理由がありそうだ

恥ずかしいという感情ももっと大切にしてあげたいのだが しかしそうすると社会適応しにくくなる感じもあって難しい やはり多少ずぶとい方が世渡りはしやすい

中学高校はどもる恐怖に耐える日々だった

 もうずいぶん経ってしまったが、覚えているうちに書き留めておく。私立の中高一貫男子校に通っていたころのこと。一般に中間試験や期末試験というと嫌なものだろうが、ぼくはそれが待ち遠しくてならなかった。通常授業があるときは、毎日何度もカレンダーを見て、「試験期間まであと何日」と数えていた。「あと何日耐えたら試験期間」とも言っていた。

 授業は恐怖に耐える時間だった。クラスメイトの前でどもる恐怖にである。学問的な楽しさはあったが、それを味わうことができるのは「今日は当てられないだろう」と思えた時間だけであった。高2くらいになると、以前よりどもるようになったためか、あえてぼくには当てない先生もいたが、それはそれで「自分は他のクラスメイトとは違う。彼らはぼくのことをどう思っているのだろう。自分は彼らより劣った存在なのだ」と思われ、授業中そのことばかりが気になった。

 先生に相談することを何度も考えたが、できなかった。吃音で悩んでいるということを知られるのがみじめに思えた。生徒相談室というものもあり、カウンセラーの先生が週に何日かいたのだが、その部屋に常駐しているわけではなく、中学の職員室に行って誰か先生をつかまえ、カウンセリングを受けたいことを伝えてからしか利用できなかった。つまり、先生たちにぼくがなにかで悩んでいると伝わる仕組みである。何度も前まで行ったが、そこに入るのもあきらめざるを得なかった。

 吃音で悩んでいることは友人には一切話さなかった。もっとも仲がよかった友人がそれを察しないために冷たくあたったりもした(当然💢)。その友人に、大学に入ったころに電話で泣きながらいかに深く悩んでいたかを話した。当時のぼくと彼との親しさからいって、彼はなんらかの働きかけをぼくに対してしてくれてもよかったのだが、人の心がわかない男だから仕方がない。おもしろい男なのだがそれだけは何とかするべきで、また彼自身そこに苦しんでおり、何とかしてあげたいがどうしたらいいのかわからない。数少なかった友人のほとんどは、ぼくが悩んでいることに同情しつつ、それを表に出さずに付き合ってくれた。何人かは今でも付き合いがあり、変わらずいい友人である。

 「あと何日耐えたら」を繰り返しても、いつかは高校を卒業し大学に入る。このまま、向き合うべき課題から逃げ続けて大学に入って大丈夫なのだろうかと不安であったが、しかしやはり大学に入るのは希望であった。このままこの環境、生ぬるい地獄に居続けることは耐えがたかったが、新たな環境で壁にぶつかるであろうことに、希望の予感があった。予感は的中し、大学に入ってもがき苦しむことになるが、しかしその結果、視界は開けた。もがき苦しむといっても、なにか行動をしたわけではなく、周囲の学生がなにかやりたいことをするなか、ずっと耐え忍んでいた自分にはそれがわからず、人とコミュニケーションも取れず、家に半分引きこもっていたことを指す。村上春樹の同じ作品を10回以上読んで、読みつつ涙を流したり、ここはという部分に深く共感したりしていた。夕刻に部屋の壁にもたれて座っていて、突然激しい孤独感がおそうことがあり、そのときは心臓のあたりが締め付けられるように痛んだ。

 私立の男子校ではなく、公立の共学校に行っていればと何度も思ったし、今も時々思うが、しかし中高で経験したことは、楽しかったこともつらかったことも共に等しく大切な記憶である。近代を体現するものは、監獄・学校・軍隊・病院・工場だと言われるが*1、学校のおそろしさを骨の髄まで味わったということは、近代ーー我々が向き合わねばならぬものだーーのおそろしさを身に知ったということである。

 晴れて今は自由の身である。自由とは何とすばらしいものだろう!

*1:フーコーという偉い学者が言っているらしい