吃音当事者団体で話したこと—「社会に適応しようとするのやめよう」など—

吃音シンポジウムというのが奈良言友会という吃音当事者会であって、「パネリスト」としてしゃべりました。

しゃべった内容は、以下のようなものです。

吃音の人や支援者の人たちが、みんないつも吃音の人がどうやったら社会に適応できるかを考えているように見えるのですが、そもそもこの社会がいろいろとひどいので、こんなひどいところに適応しようとするのがおかしいのではありませんか。社会に適応しないでも、なんとなく楽しく生きている人もいるんです。古くは仏道修行者、新しくはphaさんみたいなニートがいます。ちょうど、熊野の共育学舎という、ニートや引きこもりやその他いろんな人を、畑仕事などを手伝うかわりにタダで泊まるところや食事を提供してくれるところにお世話になっていますが、そういうふうにお金を使わずに生きていける場所は世界にいっぱいあるので、無理して学校行って会社勤めしようとしなくてもいいのではないでしょうか。どんどんドロップアウトして、この社会を根底からぶっ壊してやりましょう。

他の登壇者たちは、言語聴覚士であったり、吃音の人の就労支援をしていたり、当事者団体のリーダーであったり、大学の先生であったり、吃音の人を支援する立場なわけですが、ぼくはニートとして共育学舎にお世話になっていて、支援されている側です。こういう人前で話す場は、支援する側しか呼んでもらえないことがほとんどですが、支援される側が出て話すのもすごく大事なことでしょう。そういうわけで、呼んでいただけてよかったです。

「死にたい」がふっと生まれすぐに消える

ぼくはすぐに「死にたい」と言う。本気で死にたいわけじゃなくて、むしろ近頃はだいたい毎日楽しいのだが、それでもふと、何もやる気しないな〜というときや、将来不安だな〜考えるのめんどくさいな〜などと思ったときに、「死にたい」と口に出る。口に出てから、「あっ、また言ってしもた」と思うが、自然にすぐ忘れる。「死にたい」は、一瞬だけ発生するもので、言う前にも言う後にもない。夜空に突然小さな花火が光ったような感じだ。

また、過去の恥ずかしいことに対するフラッシュバックがずっとあって、その時も「死にたい」と口に出る。「過去の恥ずかしいこと」は、客観的に見るとしょーもないことなのだけれど、思い出したときのダメージがすごく大きい。道を歩いているときや、お風呂場でシャワーをしているときなどに、パッと花火のように思い出され、「死にたい」と早口で口に出る。外にいるときは、人に聞かれるとまずいとわかっているからか、そんなに大きな声にはならず、ひそひそ声のような大きさで口に出る。でも時々、ちょっと大きくなってしまうことがあって、その時は、近くの人に聞こえたかな…とちょっと焦る。

死にたいと口に出て、そうか、ぼく死にたいんか〜と気づく。死にたいという気持ちはあるけれど、同時に死ぬのが怖いとか、生きてたらもっとおもろいことができるという気持ちがあり、そちらの方が大きいことと、たぶんこれが重要なのだが、死にたいと思ってしまうこと自体が怖い(そう思うことは死に近づくことだから)という気持ちがあって、死にたい気持ちは普段抑圧されているから、無防備なときにパッと出てくるのだと思う。それが、今のつらいことや不安と結びつくのはわかるけれど、過去の恥ずかしいことと結びついているのが不思議で、調べようと思っている。一つには、「存在の危機」ということがあるように思う。「存在の危機」はぼくが最近よく使う言葉で、人間の行動や思考の根源の一つというイメージだ。しかし、これ以上うまく説明できない。

上に述べたような「死にたい」は一瞬で生まれ消えるもので、この文章を書いている今は、死にたいという気持ちは上とは別種類の、いつもある分しかない。死にたい気持ちを推測しても、死んだら全て終わりで楽くらいしか思いつかない。でも、それが大きいようにも感じられる。

ここまで書いて、自分の死にたい気持ちを認めてあげたいなと思った。書けて少し楽になった。

目的意識から離れる

吃音を治したいと小学生の頃から思ってきたし、今もそう思っているのだけれど、実際に治そうとするのは大学生の数年間にしただけで、今はもう疲れたからやめてしまった。治るかどうかわからないのに、色々と病院に行くのは消耗する。知り合いの吃音の人もわりとそんな感じで、若い人は治そうとしてがんばってるけど、おっちゃんおばちゃんはもうええわって感じでいる。

からだとことばのレッスンや気功は、吃音が治ることを期待してはじめたのだった。しかし、やってみると治るとか治らないとか関係なく、それ自体がとても楽しいことだった。

先月のからだとことばのレッスンでは、はじめの自己紹介で、「吃音があってそれで治したいと思ってはじめたんですけど、あんま治りそうにないなあって」と言ったら、ウケた。「楽しいから来てます」と続けた。実際、からだとことばのレッスンや気功をするようになったから吃音が軽くなったという感じはあんまりしない。かといって意味がないという感じもしなくて、このまま続けてたら何年後かに、急に吃音が出なくなる日が来る感じがする。

気功の先生が、「からだは急に変わることがあります。そのために、準備をするといいです。でも、変わろうと思いすぎない方がいい。自意識の働きに、からだは必ず反発するものだからです」ということを言っていた。

からだとことばのレッスンの瀬戸嶋先生にせよ、気功の先生にせよ、ぼくの吃音の症状を全然気にしないところがいいというかすごい。吃音みたいに目立つものがあると、それをなんとかしようとして先生の方が頑張ってしまい、レッスンを受ける側も、からだが期待に答えてくれないことで疲れてしまうことがあるものだが、というかそういうことが以前あったのだが、先生の方が特に気にしていなかったら、ぼくも気にせずにレッスンに行くことができる。

声を出すということは、吃音をどうするかが第一の問題だったが、それを越えるおもしろさを知れたのがよかった。どもっていてもというかどもっているからこそ言葉に真実味が宿ることがある。どもっても宿らないこともある。吃音を治そうというのは、社会に適応しようとか、「正常」になろうという姿勢であり、吃音を「悪」あるいは病気や障害としているのに対し、言葉を本当に相手に届けるとか、物語の世界を立ち上げるときは、吃音はそのように客体化することもできなくて、ただそこにあるもの、いや、ないものだ。吃音という状態も、物語の中に溶け込んでいて、忘れられうるものになっている。そこにあるのは、ただ物語であり、人や動物、山々と音など一瞬一瞬で移ろう自然だ。滝の近くにしばらくいると滝の音を忘れてしまうように、森の中を歩いていると森の中にいることを忘れてしまうように、吃音も忘れてしまう。

京都大学文学部を卒業しました

高校生くらいの人に向けてアドバイスを書きます。

受験について。ある程度の才能があってしっかり勉強すれば京大の文系は入れると思います。むしろ受験にこだわらずに多くのことを学びましょう。高校は受験のことばかり言ってくると思いますが、適当に聞き流して、ついでに授業も聞き流すかサボるかして、自分の世界と時間を大切にするといいと思います。

学部について。学部選びは大切です。もしかしたら大学選び以上に大切かもしれません。高校や親や世間は大学名にこだわるかもしれませんが、そこで4年間過ごすのはあなたなので、どの学部だと一番楽しく大学に通えそうか、よく調べて考えるといいです。京大についてよく知らないなりに言えば、法学部は単位を取るのが超たいへんで、かつ公職志向なので、官僚か政治家か法曹関係の仕事に就く覚悟がないと入らない方がいいと思います。文学部は学科が26もあって、かなり自由に授業も選べますし、単位認定も甘いです。学科選びも3回生の時なので、何を研究したいか考える時間的余裕もあります。授業も、ぼくにとって興味深いものがいくつかありました。振り返っても文学部にしてよかったと思います。もし間違って法学部にでも入っていたら、卒業できなかった可能性は高いと思います。

学生生活について。大学に適応できない人もいると思います。授業かサークルかどちらかに適応できるならまだしも、ぼくのように両方適応できない人も少しはいるでしょう。そういう時は大学を諦めて、町に出るといいと思います。京都や大阪は町中に学びの場がたくさんあるので、特に大学にこだわる意味はないように思います。そういうところは、色んな年齢の色んな背景の人がいて、同質的なコミュニケーションが苦手なぼくのような人には居心地がいいです。京大に入れたことがはじめは鼻が高かったりするものですが、そういう場で多種多様の人と交わっていると、どうだってよくなります。エリート意識がいい意味で消えて、本当に自分がしたいことは何だろうかと考えることもできるかもしれません。また、これは高校生の人にもいえます。ぼくは高校でも授業や部活に適応できませんでしたが、町中の学びの場を知らなかったので学校の外に友達を作ることもできず、けっこう孤独でした。部活とか無理して行かずに、大学生とか大人と楽しく学んで遊べばいいと思います。でも高校生くらいの年だとシャイなので難しいと思いますが。

京大(というか国公立大)でよかったこととして、学費が安いことがあります。ある程度貧乏だと、授業料が半額か無料になります。給付型の奨学金もけっこうありますが、期限が4月か5月中だったりするので、貧乏な人は入学したらすぐに奨学金係に行くといいでしょう。あと、休学するのにお金がかからないのも魅力です。家から通えたのもお金がかからずよかったです(学生定期めっちゃ安い)。お金があまりかからないと、大学生でいるプレッシャーが小さいので、気が楽ですよ。あまりバイトしなくてもよくなるので、自由な時間も増えます。

高校生の皆さんに言えるのはこれくらいです。京大に入って卒業したからといって、それで賢くなれるわけでもないのです。結局、勉強とか活動をするのはその人であって、大学が何かをしてくれるわけではないのです。高校までと違って上下関係とかも無視できますし、年齢などにかかわらず多くの人と関わって、あるいは人と関わらずに本を読むとかして、楽しくやればいいのではないでしょうか。世界は広いのです。○○大学に入れないと人生終わりとか、○○大学に入れたらいい人生になるとか、嘘です。価値は本当に多様で、自分の価値観を追求するのが大事です。親や学校の先生が言うことなんて、世界のごく小さな一部でしかないので、自分に合わないものは聞き流しておけばいいと思います。うーん、偉そうに書きすぎたかな。まあいいや。

恋愛に憧れている

 学びという点で恋愛に憧れている。学びは自らを更新するものだが、恋愛は力強い更新作用がある。

 人が自らを更新しようとするとき、妨げになるのは恐怖だ。仕事がつまらないのに辞められない、相手のことが嫌いなのに別れられない、無意味なネットサーフィンをしてしまうなど、今の状態がおかしいと直観しているにもかかわらずやめられないことがあるが、それはやめることでより本質的な何かを新たに考えないといけなくなることを恐怖しているからだろう。その恐怖の力は強く、なかなか乗り越えられない。お城の中で大切に育てられた王子様が、仮に自由意志を与えられたとしても、城の外に出て一般庶民として生きることを選ぶのは難しい。今までの人生の延長線上として、お城の中での生活を選ぶだろう。だが、王子様をお城の外に出させる力を持つのが、恋愛だ。「知」や「正義」もそうだと思うが、私には「恋愛」がより実感的だ。王子様は参内したヴェネツィア人航海士が献上した最先端の望遠鏡で、お城の上から町々を眺める。近くは肉眼でも見れるから知っているが、遠く町外れの被差別部落をはじめて目にする。この世にはあのような地域があるのかと驚き、それから毎日その部落を眺める。ふと、そこで生きる少女に目がとまる。みすぼらしい格好をして働いている。その泥と埃の奥にある美しさに気がついたのだろうか、毎日望遠鏡で彼女の姿を探し、見つめる。彼女が家や森の中に入ったり、城から陰になる場所に行くともう見れない。そうそう望遠鏡で見れる場所には来ないので、一日に何時間も望遠鏡を構えて、彼女が目に入る数分、時に数秒を待つ。王子は自分が恋をしていることを知る。彼女を城に参内させたいと言っても無駄なことはわかっている。王子は自分がこっそりあの部落に行けたらいいと思うが、その勇気はないし、城には見張りがいるから現実的でないし、行ったところでどう声をかけたらいいのかもわからない。家老に頼んだところで彼らは公の論理に従うから無駄である。そこで乳母に言って、その少女に美しい着物を着せ、乳母の姪っ子として参内させる。王子は王や后に頼んで、その少女をそばに置くことを認めてもらう。王と少女はお城で幸せな日々を送ったが、ある日、ピサに留学していた乳母の息子が帰国し、王に謁見した時に、乳母にそのような姪がいないことをもらしてしまう。王は官吏を使って少女の身元を調べ、少女が被差別部落の生まれであることを知る。激怒した王は少女を城と町から追い出す。王子は嘆き悲しみ、王に少女をそばに置くことの許しを請うが、認められない。そこで、王子をして、地位を捨てて少女を追いかけせしむるのが、恋愛である。(少女の気持ちは全く考慮されない、極めて王子中心的な物語を書いてしまった。しかし恋とはその本質において一方的なものだからこれでいいのだ)

 そのように、今までの自分をガラッと変えてしまう力を恋愛は秘めている。そこに私は期待しているのだ。

 もし恋した人がアゼルバイジャン人だったら、私はアゼルバイジャンの言語や文化を勉強するであろうし、アゼルバイジャンに移住するかもしれない。聴覚障害者であったら、手話を勉強するだろう。温泉好きであったら、一緒に温泉巡りをするだろう。恋する人の世界を知りたいと思わせ、知るために行動させるのが恋愛だ。

自由になりたい

さっき、自由になりたいということを書いて、お風呂に入ってシャワーで髪をゆすいでいて、「あ、ぼく、ほんまに自由になりたくて行動してるわ」と気がついた。

自由とは、今までしてきたことだけじゃなくて、別のやり方も選べるということだろう。

ぼくのメイン楽しみイベントのひとつ、からだとことばのレッスンも、声の出し方やからだの動かし方、さらには朗読やコミュニケーションのオルタナティブ(ふだんとは別のあり方)を求めて参加している。

最近はまっている、当事者研究や哲学カフェなどの対話の場は、思考やことば(概念)の自由を求めている。

本やネット、テレビなどで知識を得ようとすることや、映画や芝居など芸術にふれようとするのも、ふだんの生活を客観視しようとする態度だ。

さっき、京大に入ったのは一流大で社会に認められるのに授業に出なくていいからと書いたが、実際はそれだけでなく、京大に行けば良質な知がたくさん得られると思ったからでもある。

知識は人を自由にする。ふだん地縁や血縁に結びついて生きているが、知という普遍性にふれることで、生活を俯瞰的に見ることができる。そうすることで、新たな一歩に気がつくことができる。

自由を追い求めていけば、どうしてもここは譲れないとか、どうしてもこれが好きだとかいうものが見つかる気がする。そこにその人固有の実存がある。一度そこまで行って、その実存を組み立てて発展させるということがやりたい。井戸の底まで降りて、その人のための石を見つけて、塔を作りたい。

就職しなくても生きていけそう

メディアの仕事に関心があるが、それはあまり知られていないが良いものを世に紹介したいからだ。ぼくは年の割にはけっこうそういうの詳しいという自負があるんです。

これまでは本かなと思っていたけど、先日、出版社で働く人とじっくり話したところ、今の時代は、既に著名な人でないと本を出せないと聞いた。本にこだわったのは歴史に残ると思っていたからだが、ほとんどの本は出たらすぐに消えていくらしい… 本が売れない時代である。

となるとテレビかと思いさっき採用のホームページを見たが、民放はすでに一次採用が終わっていて、夏に二次採用があるらしい。しかしよく見ると、新卒でないと受け付けないというものがちらほら。

「大学を卒業したらすぐに働き始めないといけない」というルールがわりとあるが、いまいち理解できず、結局フリーターやニートをする期間ができてしまった。「卒業したら何するんですか?」と聞かれ、「うーん、バイトとか~」などと答えると、就活うまくいかんかったんやろか…という風に思われることが多いようだが、そもそも一社も受けていないので、受かるはずがないのである。

大学出たのに就職しないというのは社会不適合者っぽいが、京都大学に合格したとなると社会適合者っぽい感じがある。実際、就職のために努力する気にはあまりならないが、京大合格のためにはめっちゃ努力できた。そういうパターンは時々あるようだ。

別に大学に入ったら急に怠け者になったとか、性格が変わったというわけではない。自分の中では連続性を感じている。京大に入るために努力できたのは、社会に認められる範囲で最大限自由になりたかったからだ。一流大学の肩書きを得つつ、授業にそんなに出なくてもいいというのはいいとこ取りですばらしい。

今も自由になりたいと思っている。が、就職となると、そういうわけにはいかない。結構がんばって働かないといけない。がんばりたくないので困ってしまい、ノイローゼになるくらい悩んだ。

だが最近、あんまり働かなくても生きていけるっぽいということに気がついた。週に2日か3日働くとかで楽しくやっている人たちとよく会うのだが、すごく話が合う。社会にはあまり認められていなさそうだが、ありな生き方だ。

そういう生き方は元カリスマニートニート35歳までだから卒業したらしい)のphaさんや、『20代で隠居』の大原扁理さんなど、本やネットでは知っていたが、実際に会うことがなかったので、あまり現実感がなかった。でもここ1年くらいでそういう人たちとたくさん会っている。それですごく充実を感じている。

今のプランは、どこかの社員とか教員とかのメインの働き方をやってみて、無理だったらあきらめてバイトなどして生きていこうという感じだ。前までは「一度就職したら週5や週6、残業ありで働き続けないといけない。たいへんそうや~> <」という感じだったが、今は「トライしてみよう~♪」という気軽な気分になれたのでよかった。

歴史なき「平和教育」を乗り越えたい

 小学生のとき、熱心な「平和教育」を受けた。3・4年生で近代日本の朝鮮侵略と、先の大戦で日本が受けた都市空襲、6年の1学期で修学旅行先の広島の原爆について学んだ。

 その結果、「戦前までの日本はひどい国で、アジアの人たちをひどい目に合わせた。中国やロシアとの戦争に勝ったことで調子に乗って、無謀にもアメリカに戦争をしかけ、原爆を落とされ、負けた。敗戦で日本は反省して、平和を60年間守り続ける立派な国になった」という歴史観を持った。

 それがゆさぶられたのは、中3のとき、学校の図書室で小林よしのりの『戦争論』を読んだときだった。そこに述べられていた「大東亜戦争肯定論」に対し、はじめは非常に反発心を持った。だが、気になって読むのをやめることができない。中3から高1にかけて、図書室に置いてあった「ゴーマニズム宣言スペシャル」のシリーズを、何度も繰り返して読んだ。 

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論

新・ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論

 

 

 小林よしのりの述べていたことで、一番はっとしたのが、戦争は歴史の中で起こるということだ。それはつまり、戦争は相手があって、原因があって起こるということだ。それは、小学生のときに受けた「平和教育」とあい対するものとして認識させられた。

 「平和教育」での戦争は、歴史がなかった。小3・4年のときは、歴史の授業はされていなかったし、広島の原爆を学んだ6年の1学期は、日本史の授業は平安時代が終わった頃だった。だから、「平和教育」では、日本史のじゅうぶんな知識なしに、近代日本、特に先の大戦のことを学んだことになる。

 6年の時に「平和教育」の授業で暗唱し、今もそらで歌える歌がある。「ヒロシマの有る国で」という歌だ。よく歌った(歌わされた)1番の歌詞は以下である。  

八月の青空に 今もこだまするのは

若き詩人の叫び 遠き被爆者の声

あなたに感じますか 手のひらの温もりが

人の悔し涙が 生き続ける苦しみが

わたしの国とかの国の 人の生命(いのち)は同じ

このあおい大地のうえに同じ生を得たのに

ヒロシマの有る国で 

しなければならないことは

ともるいくさの火種を 消すことだろう 


ヒロシマの有る国で/初音ミク

 素晴らしい詞だと思う。しかし、詞の中に、小6当時の私が、何度歌ってもわからなかったところ、そして、小林よしのりの『戦争論』を読んではじめてわかったところがある。

わたしの国とかの国の 人の生命(いのち)は同じ

このあおい大地のうえに同じ生を得たのに

 というところだ。「わたしの国」はわかる。日本だ。「かの国」はどこか。今なら当然こう答えられる。「アメリカ合衆国」と。でも、当時の私はわからなかった。それが意味するのは、私が受けた「平和教育」では、原爆を落とした主体が消されていたということである。そこでは、原爆を落としたのは、アメリカ合衆国ではなく、戦争そのものであった。あるいは、日本の侵略の罪と、それに対する天罰であった。アメリカ合衆国が登場するときは、その天罰の執行者という匿名的存在としてであった。

 この詞は、「かの国」ということばの存在によって、アメリカ合衆国が加害者の意味で登場している。ここは、現代日本に蔓延する「平和教育」的な視点では、「かの国」ではなく、「他の国」とされるべきところだろう。だが、作詞作曲をてがけた山本さとしは1985年当時*1そうせず、原爆を落とされた国=日本、落とした国=アメリカ合衆国という視点を詞に入れた。

 私の受けた「平和教育」は、原爆を落とした国=アメリカ合衆国という視点を排除した。あくまでも、原爆を落としたのは戦争そのものであった。原爆を落とした国としての合衆国の存在を気づかせると、合衆国に憎しみを持つ児童が出てくるだろう。教師は、それを怖れたのだと思う。憎むべきは戦争であり、合衆国ではないというわけである。

 確かに、それにも一理ある。私も、それが理想だと思う。だが、はじめから合衆国は憎まず戦争を憎むというのは、高度なことを求めすぎているように思う。原爆を落としたのが合衆国であると知り、それを(日本人として)許せない気持ちを持ちつつも、どう乗り越えるかというのが、自然であるように思う。

 (日本人として)と書いた。おそらく、「平和教育」ではそういう視点を排除したかったのだと思う。戦争が原爆を落としたことにすれば、敵は戦争であり、味方は人類全員である。だが、アメリカ合衆国が原爆を落としたことを思い出すと、民族としての日本が想起される。

 今の日本で、ナショナリズム民族主義)を表明するのは、非知性的な態度を示すことのように感じられる。国を超えて世界を見る方がクールという雰囲気だ。だが、私は自身が生まれ育った日本を、数多くの問題のある社会であると思うが、愛しているし、それを自由に表明したい。ナショナリズムの表明は、オリンピックなどスポーツの国際大会などにおいては日本社会に公認されているようだが、私はオリンピックには全然興味を持てないし、そもそも私が表明したいナショナリズムは、もっと本質的な(と私は思う)意味におけるものだ。

 それを述べる。私が大切にしたいのは、記憶としての歴史である。特に、先の大戦の戦死者の記憶が忘れられない。彼らが命をかけて守った日本を守りたいし、より良い方向に変えていきたい。そして、私のナショナリズムは、彼ら戦死者をはじめとした多くの日本人が、歴史的存在の日本を体現すると信じてきた天皇ーー国民のために祈ってくれる完全な公的存在ーーに集約される。

 私のナショナリズムは、権威主義とは違う。私は権威主義が大の嫌いである。私のナショナリズムは、権威主義に抵抗するための、倫理観として働いてくれる。私の内なる公共心が、ナショナリズムに支えられているのを感じる。

 例えば、私が今している竹内敏晴のレッスンを普及する活動にせよ、将来(今のところ)志している小学校教員にせよ、共に主な活動区域が関西であり、関西への愛郷心に支えられているが、同時に、日本をよくしようという愛国心*2にも支えられている。その先には、それが世界をよくすることになるという人類愛的な思想もある。

 結局、愛郷心愛国心も人類愛も、倫理観を求める働きによるものであり、どれがよくてどれが悪いということはないのだ。だが、現代日本では、愛国心だけが悪者になっている。

 それはどうしてか。先の大戦の結果で、愛国心があまりにも強調されすぎた結果だろう。しかし、悪いのは愛国心ではなく、愛国心を乱用することである。

 私が日本社会の成員に望むのは、一度先の大戦から距離を置いて、内にあるナショナリズムを見つめ直すことである。そうすれば、オリンピックや他国との紛争のような喧噪の時だけではなく、自分や家族、故郷、友人から同心円的に広がる、静かな愛国心がいつも存在することに気がつくと思う。その先には、人類、生きとし生けるもの、地球、宇宙、森羅万象への愛がある。それら全てを大切にすればいいと思う。

 だが実際、今の世界でナショナリズムは大きな力を持つ。時に戦争を引き起こしてしまうくらいに。だから、それが加熱しすぎないように常に注意しなくてはいけない。そのために、先の大戦を反省することはとても大切であると思う。だが、愛国心そのものは否定しないでほしい。

*1:http://www.satoshi-y.net/profile%202016.htm

*2:ナショナリズムを的確に表す日本語はなく、国民主義民族主義愛国心などが当てられる ここでは愛国心を使いたくなった

「からだとことばのレッスン」琵琶湖合宿体験記

7月の三連休に、瀬戸嶋充さん主催の「からだとことばのレッスン」2泊3日の合宿が琵琶湖畔であった。 

宮沢賢治の物語を、3日間かけて芝居に起こすのである。

合宿がはじまる前から不安はほとんどなく、ひたすら楽しみにしていたのは、前回1月の神奈川県三浦海岸での合宿が、僕の今までの常識をひっくり返すくらいに楽しかったからだった。

その時も宮沢賢治の物語を読んだ。はじめは、朗読をするのだが、吃音のためにことばがつまってなかなか声にならない。そのために焦り、なんとか声を出そうともがく。だが、何度も皆でレッスンを重ね、朗読にしだいに動きが入り、それが芝居になっていくとき、どもるかどもらないかという意識を越えることができた。僕にとっていつも、人前で声を出すときにどもるかどもらないかは、とても重要なことであったし、今もそうだ。それは少なくとも僕にとって当たり前のことで、どもると、何せ目立つし、聞いている人もどうしていいか戸惑うことが多く、僕の方も申し訳なくなってしまう。ことばがのどにつまって出てこないことがはじまった、小学2年生の時以来、ずっと人前でつきまとった、「どもらなければいいな」という意識から、この芝居の瞬間はじめて自由になることができた。また、この時は、全然どもらずにセリフが言えたのだが、しかしやはりうれしかったのは、どもらなかったことではなく、どもるかどうかを含めて、ほとんどあらゆる自意識から自由になったことである。最後の3日間の集大成となる芝居では、『どんぐりと山猫』の山猫の小間使いのような役割の、「馬車別当」を演じたのだが、物語の世界に深く入り込んだためか、普段は使わない東北弁がすらすらと自分の生まれ育ったことばのように出てきて、馬車別当が楽しいときは楽しい感情が、悲しいときは悲しい感情が、それを「感情」と客観視する余裕も必要もなく自然とわき上がってきた。そうなると見ている方もおもしろいらしく、爆笑してくれるのだが、特にそれに気を取られることもなく、やはり馬車別当でいられるのであった。他の人も、とても自由で真剣で、30歳をすぎた人が犬や猫になって走り回ったり、喜怒哀楽が全身で表現されていて、それを客側で見るとおもしろくて仕方がなく、笑い転げてしまうのであった。

琵琶湖合宿1日目は、はじめはからだをほぐし、「ららららー」と声を出すことからはじまった。印象に残っているのが、ペアになって、「バカー!」と振り向きざまに叫ぶレッスンだ。ペアの人はIさんという男性。「バカー!」と言っても、言われても、あんまり気持ちよくないなとはじめ感じた。特に言われるときは、Iさんの顔がちょっと怖い。僕も怖い顔をしていたかもしれない。何度か、「バカー」と言い合う。すると、Nさんという女性が、このレッスンは合わないのか、やめて長椅子に座っているのが見えた。僕は特に気にせず続ける。どうすれば声が相手に届くかと考える。瀬戸嶋さんが「みんな、感情を込めて言おうとしている。感情は込めなくていい。音を届けることを考えればいい」と言われ、まずは「バ」だけ次に「カ」だけ、振り向きざまに言い合う。そうすると、さっきまであった嫌な感じがない。続けて、「バカー!」と言い合う。やはり嫌な感じはせず、ただ「バカー!」という音が出ていき、入ってくる。今まで、声をよく出すことは、感情を相手に伝えることだと思ってきたが、そうじゃないものがあるのではないかと気づく。気がつくと、Nさんは稽古場を離れて寝泊まりする建物に戻ってしまっていた。

次に、ペアになって宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』を読むのだが、僕はことばがのどにつまって、はじめは全然出てこなかった。ペアのKさんも、どうしたものかという様子。すると、瀬戸嶋さんが、「足で俺のからだを押してみ」と言う。かなり力を入れないと押せないが、そうすると全然出なかったことばが、とぎれとぎれに出てくる。「そこらが」「まだ」「まるっきり」という様子である。足がつったので手で押すのに切り替えて続ける。「天気のいい日に」「嘉十も出かけていきました」「糧と味噌と」「鍋とをしょって」と、次第に長くなる。そうしているうちに、押さなくてもリズムに乗って読めるようになってくる。実はこれは普段の定例会でも経験していることで、そんなに驚きはしないのだが、やはりおもしろいと思う。声を出すときに、腹から下に重さがかかっていることが大切なのだと思う。

夜は宴会。湖に向けて開けた和室で、お酒を飲む。竹内敏晴で卒論を書いた大学の先輩のKさんが、竹内の代表作『ことばが劈かれるとき』を見せてくれる。付箋やメモがぎっしりで驚く。僕も竹内敏晴で卒論を書くつもりなので、これくらい真面目にやらなくちゃいけないなと思う。

2日目は、2つのグループにわかれ、いよいよ芝居の稽古に入る。『鹿踊りのはじまり』の物語を説明すると、鹿6匹が人間(嘉十)の落とした団子を見つけるが、近くに一緒に落ちている何か生き物のようなものが怖くて団子に近寄れず、したがって食べることができない。まずそれが何かを鹿たちが交互に確かめる。そして、それが手ぬぐいだとわかり喜んで、団子を食べ、そのことを自然の神様に感謝するという話である。まずはナレーターをしたい人を瀬戸嶋さんが呼びかけるが、僕はどもるので、ナレーターをするのはいつも遠慮してしまう。希望者がいてすぐに決まり、たまには挑戦してもいいのかも…と思うが、まあいいか、とも思う。

舞台は大きな和室の部屋で、それを半分は舞台、半分は客席にする。1つのグループが舞台にいるときは、もう1つのグループは客席にいて稽古を見るのだが、別に真面目に見なくてもよくて、たいてい寝転がっており、眠い人は寝ている。「からだとことばのレッスン」を創始した竹内敏晴がよく書いている「したくない自由」は、瀬戸嶋さんも尊重されているようで、したいことをして、したくないことはしなくていい。それはレッスンの内容でもそうである。稽古では、よく瀬戸嶋さんが途中で止めて、アドバイスをし、瀬戸嶋さん自身で演じることもある。瀬戸嶋さんの動きはとてもおもしろく、声をたてて笑ってしまう。

琵琶湖で泳いだことについても書きたい。湖水浴は小学1年以来だったと思う。初日のレッスンの前に泳いだが、水温はぬるかった。奥まで行くと足がつかなくなる。プールにはたまに行くが、プールはどこも足がつく。だから足がつかないのはおそろしく、奥には行かないようにする。水はわりに濁っている。2日目の昼は、川が湖にそそいでいるところに行ったが、川の水はとても冷たくておどろいた。河口はブラックバスがよく釣れるらしく、釣り人がたくさんいる。浜からは、比良山地1000m級の山々が見渡せ、壮観である。

2日目の夕暮れは、皆で琵琶湖畔に行き、「ららららー」と声をだして、セリフを読んだ。波の音(行くまで忘れていたが、琵琶湖も波があるのだ)に負けないように、広大な湖に向かって大きな声が自然と出る。そうしてから稽古場に戻ると、みな声の出方が全然違う。とても大きく、広がりのある声になっている。

その日の夜も宴会。以前から一緒にレッスンを受けている、年上の笑顔の美しい女性Mさんにひざまくらをしてもらっていた。実に幸せな気持ちになる。みなに「男性陣はみな嫉妬してるよ」とか「これは八木くんにしかできないわ」と言われ、少しいい気になる。瀬戸嶋さんが「俺の役割を取られちゃった」と言うので、「どういうことですか?」と聞くと、瀬戸嶋さんも昔はレッスンの後に、女性にひざまくらをしてもらっていたらしい。その点では、師匠の後を継ぐ忠実な弟子になることができている。以前の合宿で知り合ったYさんにもひざまくらをしてもらう。ちなみに、ひざまくらをしてもらうのは、10代以降ではじめてであったように思う。普段は、そうしてもらいたくてもお願いできないのだが、ずいぶんリラックスできたおかげである。その後、野口三千三さんのレッスンの動画を見る。20代後半くらいの瀬戸嶋さんも映っていて、「今と全然違う」「好青年や~」とみんな言うし、僕も思う。でも瀬戸嶋さんは「今と似た部分があっておもしろかった」と言う。瀬戸嶋さんは、「俺は若い頃は人とコミュニケーションが全然取れなかったし、自由に表現することもできなかった」とおっしゃっていて、その瀬戸嶋さんが今、こんなに内のすばらしいものを表現されていることがすごいなと思う。僕は思うのだが、すべての人が、内なるものを自由に表現できる才能を持っていて、その表現はそれぞれに個性があっておもしろいものだ。だが、どうしても常識や自意識にとらわれて、自由な表現ができない。しかし、瀬戸嶋さんのように、そのことに取り組み続けると、自意識の壁を少しずつ乗り越えていくことができる。レッスンでは、どうしても自意識の壁をうまく越えられる人と、うまく越えられない人がでてきてしまうが、後者の人もレッスンに来続けているのがすごいことだと思う。それだけみな、可能性を感じているのだ。

3日目は、午前から昼過ぎまでリハーサルをして、それから本番である。リハーサルまでは、時々ストップが入り瀬戸嶋さんのアドバイスがあるが、もうここまで来ると、かなり物語に入ることができる。疲れがたまっているはずなのだが、いざ舞台に立つととても元気に動くことができる。鹿の役で、ずっとぴょんぴょん飛び跳ねることができる。セリフを言っても、客席の人たちが笑ってくれるようになる。

昼はピラフが出たのだが、3杯も食べてしまった。その後、琵琶湖で泳ぐ。足のつかないところまで行ってみる。おそるおそる進んで行ったが、意外と足がつかなくてもなんとかなるものだった。遊泳区画の一番奥まで行って、戻ってくる。

そして本番。本番は瀬戸嶋さんのストップも入らないし、客席の人たちもわりと真面目に見ている。本番の直前になってはじめて、緊張を感じる。でも心地よい種類の緊張だ。テンションがあがって意味もなくトンビのまねをしたりする。セリフは、決まっているところと、そうでないところとがある。はじめの方は特に決まっていないのだが、自然と言いたくなって言う。今回は前回の合宿とは違い、本番でも、わりとどもりが出る。が、そんなに気にならない。ひたすら、演じることが楽しい時間だった。固定したものはほとんどなく、さっきやったリハーサルともまた違った動きが出てくる。客席の人たちも、よく笑ってくれた。一緒に演じてすごかったのが、NさんとYさんである。ともに、ボディーワークを長く教えられているせいか、からだが物語に深く入り込んでしまっていて、彼女らに僕のからだが動かされる。セリフを言うときも、つい彼女らの顔をみて言う。Nさんは70代前半の女性なのだが、全然年を感じさせない。汗だくになって、本番は終わった。

何かまとめようと思ったが、書くことが思いつかないので、ここで終える。合宿で出会った人たちに感謝する。みなさんの個性が印象に残っている。

ジェンダーの規範から自由になるーー異性装という選択肢ーー

 最近、服を買いに行くのが楽しい。女性服を買うようになったからだ。

 私は身長が150cm代後半、体重が40kg代前半と非常に小柄で、男性服は基本的にどれも大きい。Sサイズでもだいたい大きい。

 それでも、いつも男性服の売り場に行って、その中で一番小さい、それでも少し大きめの服を買って、袖をまくったり裾を折ったりして着ていた。

 でも、あるきっかけで女性服売り場に行くと、自分のからだに合ったサイズばかりで、選択肢が今までとは比べものにならないくらい増えた。女性らしさを強調した服以外にも、ユニセックス的な服はたくさんあり、それらはよく注意しないと女性物とわからない。今まで着ていた服よりからだに合っているので、着心地もいいし、見た目もカッコいい。

 とはいえ、女性服しか売っていない店に行くと、人目が気になってしまう。今は、ユニクロ無印良品に行っているが、これらのいいところは同じフロアに男性服と女性服の売り場があることだ。「男性服売り場に行くつもりだったけど、この店に慣れていなくて迷い込んだ人」とか「男性服売り場に行くつもりだったけど、なんとなくついでに女性服売り場に来てみた人」という設定にして、のびのびと女性服を見ることができる。男性服と女性服でほとんど同じデザインのものも多い。

 でももう少しおしゃれな感じの店にも行きたいので、妹にお願いして、「妹の買い物に付き合っている人」の設定で行ってみようと思う。いつかは自分一人でも女性服専門の店に入れるようになりたいが、もう少し時間がかかる。

 今まで、「男性服しか着ちゃダメだ」と思い込んでいたのが、もったいなかったな~と思う。そういう、自分の利益にも他人の利益にもならない規範意識は取り払ってしまうのがいい。

 女性服を着るようになったきっかけとは、「女性装」という言葉を生み出し、必ずしも男性服にこだわらず、女性服を含めて「私にとって自然な格好」をするという、安富歩さんの『ありのままの私』を読んだことだ。安富さんは、セックスは男性で、従って自動的にジェンダーも男性として生き、京大を出て三井住友銀行に勤め、若くして東大助教になるという、「エリート」の典型のような人生を送ってきた。だが、精神的な違和感は社会的地位が上がるにつれどんどん大きくなり、とうとう危機に至って、それまでの生き方を振り返ることになった。そうすると、自分を縛っていた、本当はいらない価値観に気がついた。その一つが「男らしさ」で、男性の服装をやめることはその象徴のようなものとなった。

 

ありのままの私

ありのままの私

 

 

 安富さんの写真を見ると、性的な意味ではなく、純粋にきれいだな~と思う。男性服を着ていた時の写真よりもずっと自分らしさが出ていて、美しい。

wotopi.jp

(話がそれるが、女性向けネットメディアwotopiは男性の私が見ても参考になる記事が多く、良質なメディアだ)

 

 私は今は男女どちらが着てもいいような服の、女性用サイズを着ているが、安富さんのように女性っぽい格好もできたらいいな~と思う。「今日は男性っぽい感じに」「今日は女性っぽい感じに」と、その日の気分で服装を分けることができたらおもしろそうだ。

 私はいわゆるセクシュアルマイノリティの自覚はない。98%くらいはヘテロセクシュアルと自覚している(私に限らず、たいていの場合100%とは言い切れないものだと思う。少年愛がしばしば見られた古代ギリシアや前近代日本の例を見ても、「ほとんどの人が100%ヘテロセクシュアル」というのは違うんじゃないだろうか)。だが、つきつめれば誰もがセクシュアルマイノリティである。

 「勉強も部活動も頑張っています」というのが日本の中高生の「あるべき姿」であり、特に男子の場合、その「部活動」は運動部のことだ。だが私は、運動そのものはわりに好きだが、前述した体格の小ささのために、同級生の男子に部活動という「競争」で勝つことはできず、中一で入った運動部はすぐにやめてしまった。まずこの時点で「健全な男子生徒」からは外れてしまっているが、幼稚園の頃から男子・男性社会に特有の粗野な感じはとても苦手で、小学生の時は女の子と教室で話をしたり一緒に帰ったりするのが好きだった。中高は男子校に通い女性との交流はほとんどなくなったが、共学の大学に通い、大学外でも活動をして、女性と付き合う機会がある今は、中高と比べて格段に居心地よい人間関係ができている。こう見ればわかるように、私は一般的な男性よりも女性性が強く、「男らしさ」の規範には適応できないし、したくない。そんな中で、安富さんがしたように女性の服を着ることは、「男らしさ」の規範から自分を自由にする象徴になり、希望が持てる。

 今の話は、私自身の吃音にもいえることだった。高校生までは「『普通』に話さなくてはいけない。そうできない自分はダメだ」と思っていた。だが、その「普通」という規範から逃れられた時に、ぐっと楽になることができた。

 私はジェンダーについても、規範からもっと自由でありたい。体格が小さいから、運動部じゃないから、文学部に通って「実学」をやらないから、「男らしくなくてダメだ」と言われるなら、そんな「男らしさ」なんていらない。ジェンダーの男性である前に、私は私なのだ。