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吃音のドラマ『ラヴソング』が作る「大きな物語」と、それが語り得ない「固有の物語」

 吃音をテーマにした月9のドラマ『ラヴソング』が放送されている。多くの人に吃音を知ってもらうきっかけになることで、吃音当事者としてありがたく思う。こういう人もいるということを、事前に知ってもらっているだけで助かることが多々ある。

www.fujitv.co.jp

 『ラヴソング』は吃音をテーマにした作品の中で、日本ではかつてない影響力を持つことになるだろう。世間の吃音観はこのドラマに大きく即したものとなるだろうし、吃音者自身も、ドラマに自分を重ね合わせるだろう。『ラヴソングは』いわば吃音の「大きな物語」となる。

 だが、そこには常に危険が伴う。「ラヴソング」で語られる吃音は、多くの人が共感できるように、ある程度一般的な吃音となり、ある程度一般的なコミュニケーションの苦しみとなる。

 しかし、一般的な吃音、一般的なコミュニケーションの不全感は実在はしない。本当にあるのは、固有の吃音であり固有の苦しみである。

 一般的なものを否定しているのではない。私自身、吃音に深く悩んでいた高校2年のとき、吃音の人が書いた本を読んで、「吃音で苦しいのは自分だけでない」と知り、大いに救われた。「ラヴソング」も、吃音や、その他の言語障害、あるいはコミュニケーションに悩む、かつてないくらい多くの人々を救うだろう。

 忘れてはいけないのは、『ラヴソング』のような「大きな物語」の後ろに、耳を澄ませないと聞こえないくらい小さな「固有の物語」が、人の数だけあるということだ。ドラマで出てこない、その人自身の、不合理で、万人には共感ができない固有の吃音が、固有のコミュニケーションの苦手意識が、そしてもちろん固有の楽しさやうれしさがあるのだ。

 『ラヴソング』に共感できる多数の吃音者が、個性が強すぎて共感できない少数の吃音者を排除するということがあってはならない。「その吃音は、その苦しみは、『ラヴソング』で描かれたものと違うから、間違ったものだ」などということは絶対にないのである。

 「大きな物語」は、多くの人を情動的に内包できるもので、それ故に力強さを持つ。そして、人は多数派であるときに、自分を「正しい」と思って、それに当てはまらない人を抑圧しがちである。『ラヴソング』でも、同じ事態は、それが目に見えないものでも、起きてしまうと思う。だが、自分を多数派と思っている人も含めて、「大きな物語」に含まれない固有性を誰しも持っている。

 固有性を大切にして生きたい。自分の苦しいことを語るとき、楽しいことを語るとき、「これは『ラヴソング』で描かれなかったものだから語らないでおこう」と思いたくないし、思わないでほしい。堂々と自分の物語を語っていいし、自分の生き方をして固有の物語を作ればいい。私が書いているのも、私の物語に過ぎない。もちろん、一般性を求めて書いている部分もあるが、受けいれられないところがあってもいい。そういう気持ちで書いていくし、そういう気持ちで生きていく。

本当の自分を取り戻す

 何か書きたいと思っていたが、ずっと書くことができなかった。台湾から帰ってきてから新しい変化がたくさんあり、気持ちが整理できていないためだが、整理できないままでもいいから書くことが必要と思って、パソコンを開いた。

 2009年に亡くなった演出家に、竹内敏晴という人がいる。旧制高校に上がるまで耳が聞こえなかった竹内は、聞こえるようになってから努力して言葉を話すことを覚えた。私たちは特に意識的な努力なしにことばを話すようになるが、それを意識的にできるようになることは、たいへんなことであると想像できるだろう。だからであろうか、竹内のことばに対する感覚は鋭敏である。

 竹内は、ことばには「情報伝達のことば」と「表現としてのことば」があるという。今の社会は、前者ばかりを重んじているが、ことばの本質は後者である。人が手やからだで誰かに触れるように、ことばで人に触れることができる。

 この竹内のことばは、吃音者である私にとって、深い実感と励ましを与えてくれた。吃音は、もちろん情報伝達には不利である。だが、私にはどもること自体が何か悪いことであるとは思えない。どもるからこそ生まれることばの力や、どもること自体のおもしろさがあるのは、どこかで感じていた。

 竹内は、演劇の手法で人とのかかわり方やことばの使い方を見直すレッスンを開いていた。竹内のレッスンを引き継いでいる人のところにレッスンに行っているが、何度も衝撃を受けている。朗読や芝居をしても、どもっていい読みができたなと思うこともあれば、どもらずいい読みができたと思うこともある。芝居に入り込んでほとんど自我が消えてしまったことも一度だけあって、その時は実に愉快だった。他にも、下半身をゆらしてゆるめると、声が変わったりする。ことばを出すということ、それ自体がとてもおもしろいことだ。

 

ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)

ことばが劈(ひら)かれるとき (ちくま文庫)

 

 

 吃音のために、社会に適応するのに困難がある人は多くいるようだし、私自身そういう部分もある。できるだけどもらないようにするために言語聴覚士などの元で訓練を受ける人もいる。だが、そういうことばからはその人の個性が消えてしまっているように見える。これは、私がお金に苦労したことがない人間だという罪悪感を持ちながらあえて言うことだが、社会に適応することが、そんなに大切なことだろうか。社会に適応できない部分にこそ、その人の個が見えて、その個が互いにぶつかり合いながら、いかに折り合いをつけるかがおもしろいのではないだろうか。

 金を稼ぐことは大事だが、そればかり追求していくと、社会が求めるものに自分を合わせるだけになる。個の尖った部分をどんどん削っていき、社会が求める「平均的人間」に近づいていく。今、いわゆる「優秀」とされているのは、そういう人が多いのではないだろうか。ペーパーテストでいい点数を取り、東大や京大に入り、大企業に入る。それはシステムの歯車としての優秀さしか示さないのではないだろうか。人間存在の本質は、金を稼げること=社会の求めることができることにとどまらないはずである。もっと混沌としていて、非合理的なところにあるはずである。

 吃音であること、あるいは何らかの障害や困難があることは、ある意味幸せなことであるように思う。社会に適応しづらいという点で幸せである。社会に適応できない中で、個としての自分を考えざるを得ないために幸せである。

 今の社会は、仕事ができることが大切にされすぎているように思う。仕事をすることで、経済的に自立して、社会の役に立つことができると人は言う。経済的自立はわかるような気がする。私もいつまでも親の金で生きていきたくはないし、他の人がそう思うのもわかる。だが、社会の役に立つというのはどうか。水俣病の原因となる水銀を海に出している会社で働いていた人は社会の役に立っていたのか、大東亜戦争の時に児童生徒に国のために死ねと言った教師は社会の役に立っていたのか、発展途上国の子どもを働かせて作った製品を売っている企業で働く人は社会の役に立っているのか。近代社会で金を回すという点では社会の役に立っていただろう。だが、大きく宇宙の調和を考えたときに、それはむしろマイナスになっている。もちろん、消費だって同じである。だから、この近代社会に適応して金を稼ぎ使うことは必ずしもいいことではないのに、働いていることに偉そうになって、働いていない人をさげすむ人が多すぎるように思う。働いていない人の方が、近代文明に寄与しないという点で、宇宙の調和にはプラスになっているかもしれないのに。もちろん、生きていくために仕事は必要である。だが、生きていくためにしていることを、そのまま社会、宇宙のために正しいことをしていると思ってはいけないだろう。

 まだアルバイト以外に働いたことがない私が上記のようなことを述べる資格があるのか疑問だが、大学生活も終わりに近づいて、どういう仕事をしないといけないかを考えたとき、また吃音を持ちながら働いていくことを考えたときに、思い浮かんだことを述べた次第である。

 大学を出て、何の仕事をするか。私は近代の物質文明が積極的には好きになれない(と言っても、そこでしか生きられないのだが)から、それとは直接関係のない、教員にでもなろうかと思いはじめている。何の仕事をするにせよ、どのような生き方をするにせよ、宇宙の一部として自分を捉えるとよいのだろうと思う。

 近頃は、大学を出てからどうするかと思い悩むことが多くなっている。一昨年の終わりもそうで、その時はどうしようもなくなって休学を決めた。今もそうだが、自分の頭の中でぐるぐる考えてしまって、苦しくなってくる。だが、竹内さんの本を読んでレッスンを受けるなどしても思うことだが、結局はからだが知っているということだ。からだが求めることをするしかないのだ。大学生になってからよく読んだ、村上春樹phaさんも、からだを大事にしているし、精神科医の泉谷閑示などもそうだ。私はもともと、そういう考え方が好きなのだと思う。もっとからだのことを知りたいし、そのために竹内レッスンはもちろん、気功や座禅などできることをしていきたい。そういう方法で、思考ばかりで苦しくなってしまっている現状から抜け出して、本来の、からだに根ざした私自身を浮かび上がらせることができると、もっと楽に生きられるだろうし、それが他者や広くは宇宙全体のためになるのだろうと思う。

高校がつらければ中退して自力で勉強して大学を受けるのもありだと思う

 中高一貫の女子高生が書いた文章を読んだ。

anond.hatelabo.jp 

 私も中学受験をして、中高一貫男子校に通った。

今は虐められてるわけじゃない。友達も少ないながらもいる。感謝しなくちゃいけない。

でも、居場所がない。宙ぶらりんのまま落ちないように気を張ってる。

 そして、彼女の上の言葉は、私が中高の頃に感じていたものと、似ていると思った。余計なお世話かもしれないし、もしそうだったら無視してくれたらいいのだが、彼女を始めとした、学校に行きにくい中高生に向けて、文章を書きたい。

 私は、吃音が大きなコンプレックスで、中2から高2ごろまで、10名前後の友達を除いて、周囲に心を閉ざしていた。

 特に、授業で当てられるのが嫌だった。当てられるたびに、クラス40名の前でどもるのが嫌だった。だからといって、私だけ当てられないのも嫌だった。吃音については、先生も級友も、誰とも話をしなかった。一人で抱え込んでいた。

 というわけで、授業にはあまり集中できていなかったように思う。初めての大学受験では第一志望の国立大学に落ちて、私立大学に行った。だが、その大学が3カ月で嫌になって、後期は休学して、もう一度第一志望を目指すことにした。

 ちょうど両親が離婚して家庭が暗かったので、祖父母が住む地方の県庁所在都市に移って、県立図書館で一人勉強した。もっと充実した中高生活をすればよかったという強い後悔に苛まれつつ、参考書を使ってかなり真剣に勉強をしたら、成績は急激に上がった。秋からはペースが落ちたが、センターも二次も満足いく点数を取ることができて、受かった。

 何が言いたいかというと、もし増田が、高校に行くのをやめたいが、大学受験のことを心配してそれができないと考えているのだとしたら、受験は独学でも何とかなるだろうということだ。精神的に不安定な状態で授業を受けるよりも、落ち着いて一人で勉強した方が成績は上がるのではないかと思う。少なくとも私の場合は、そうだった。 

 もちろん、受験は過程にすぎない。偏差値の高い大学に行けば、すべてがうまく行くというものではないだろう。少なくとも私は、新たに入った大学でも、主にコミュニケーションで、とても苦しんだ。今も、就職を前にして、不安が大きい。

 だが、人生では、なんとか前に進めているという感覚が、大切なのではないかと思う。初めて入った私立大学で、ほとんど行き詰まったときに、一人で勉強して国立大学を目指すという選択肢を持てたことは、私を助けてくれた。増田が本当に、今の学校の生活に行き詰まったときは、学校をやめて一人で勉強して、高認を取り、受験をすることもありだということを伝えたかった。 

 ブコメに、家庭と学校以外の人間関係を持てばいいという意見があったが、それもかなり有効だと思う。私は高校生の頃は、そういうものはなかったが、大学生になって色々なコミュニティに関わるようになって、人間関係には、家庭やクラスのような閉塞的なものだけでなく、もっと開放的なものもあるのだと知ることができたし、そういう関係の楽さに、心地いいものも感じている。

大学3回生のとき、就職したくなくてうつ状態になった

大学3回生の10月、就活をしないといけないのに全くやる気が出なくて、でも時間は過ぎていくことにプレッシャーを感じて、うつ状態(正確にはわからないが…)になった。

僕は吃音(どもり)があって、それもわりと重くて、面接のような場面はとても苦手だし、コミュニケーションの苦手意識もその時は強くて、就職してから仕事や周囲とのコミュニケーションをやっていけるかとても不安だった。

僕は高校生くらいから、海外、特に中国を中心にした東アジア・東南アジアに興味があって、何度も旅行をしているし、今も中国の学生と関わるサークルをしているくらいで、中国など海外と積極的に関わる仕事に興味があったが、当時の自分はそれをする自信がなくて、それで吃音をあえてアピールできる障害者関係の仕事を探してみたが、本当の関心がないのでやる気が出ず、行き詰まってしまった。

自信を失い人と会うのも嫌になって、10月は、授業は週に2コマくらいしか行かず、期末レポートで成績をつける授業はまだしも、出席を取る語学は出ないといけないとわかっているが、語学は当てられて答えないといけなくて、吃音の自分にはわりとプレッシャーがかかり、でも1回生からなんとかやってきたのだが、その時は吃音の症状も重くなっていて、出る勇気がなくなっていた。

授業に出ず家で何をしていたかというと、だいたいネットで「大学生 働きたくない」とか調べていた。あまり参考にならないサイトも多かったが、いいサイトもたくさん見つけた。

カウンセリングサービスや、phaさんは、存在は前から知っていたが、その時に初めて真剣に読んで、とても救われたし、今でも支えになっている。

少し胡散臭いが、自殺サイトというものも見つけて(タイトルが自殺を煽っていそうだが、そのような内容ではない)、芥川龍之介の自殺に関する文章などを読んで、共感するところがあった。

吃音関係でいえば、乗り移り人生相談という、どもりで元名編集者の島地勝彦というお爺さんが読者の質問に答えるサイトがあって、どもりの人へ自信をつけさせる文章や、男尊女卑に見えて実は女性への愛に満ちた恋愛相談が面白かった。

本もよく読んだ。1回生の頃から好きな村上春樹の小説の一節が、ときどき胸に突き刺さった。中島義道も面白く読んだ。『働くのがイヤな人のための本』や『カイン』などはとても共感した。言葉の扱いが上手い人が生きにくさを言語化してくれると、自分で言語化できなかった感情を言葉にできるので、とても助かる。

何気ない風景の美しさも印象に残っている。一日中部屋に引きこもっていて、5時頃にそろそろ閉館する図書館に本を返しに自転車に乗り、ふと見上げた空が夕日に染まっていて、それが、今まで鬱屈と部屋に閉じこもっていたこととの対比のためか、とても美しかった。普通に朝昼に外出していたり、まともな精神状態だと、あの美しさは味わえないのではないかと思う。

2~3日に1日くらい身体を動かした。外を走ったり、水泳をしたり。自転車で15分すると山とちょっとした渓谷があって、山の麓や谷を走った。やはり自然がとても美しく見えた。

10月終わりには、来年度は休学することを決めた。そう決めると気分が楽になり、なんとか授業にも出席した。身体を動かすことに、吃音にいいかもしれないと興味を持って、個人的にしている水泳とランニングに加えて気功や合気道や演劇を習い始めた。合気道とランニングはすぐにやめたが、演劇は半年やって、芝居にも出させてもらった。水泳は、前にブログにも書いたが、今もほそぼそと続けている。

カウンセリングにも行った。大学にカウンセリングセンターがあって、無料で受けることができる。一度面談をしたら、あなたには女の先生がいいだろうと言われ、毎週決まった1時間にカウンセリングを受けることになった。カウンセリングの先生はほとんど何も話してくれず、基本的に僕の話を聞くだけだった。僕は初めはあまり話さなかったが、次第に話すようになった。でも基本的に特に返答はなく、物足りない感じがした。おそらくそのカウンセリングは自分の気持ちを話すことを目的としていたが、そのときは、母によく会って、気持ちをかなり率直に語っていたし、母の友達で『ねじまき鳥クロニクル』の「仮縫い」のような仕事をしている人がいて、その人にも色々話していた。一人で話したり、文章にして、気持ちを言語化することもしていた。だから必ずしもカウンセリングが必要だったとは思わないが、カウンセラーの先生は話を聞くことに慣れているから、こちらもほとんど遠慮なく話すことができたのがよかった。

祖母の炊事の手伝いもした。何をするかは祖母が指図し、僕はそれを実行した。絵も描いた。高橋留美子こうの史代の漫画をそのまま紙に写した。そういう具体的な何かを完成させるのは、自分がここにいるということを確認できるような気がしてよかった。

母子家庭や地域の子供、障害を持つ学生を支援するNPOにスタッフとして参加させてもらえないか話をしに行き、OKをもらったが、結局どこも行かなかった。僕は直接他人を支援する仕事には向かないのかもしれない。

2月からは、僕はそれまでまともにバイトをしたことがなかったのだが、校正のバイトを始めた。気軽に働いていたが、お金を貰えるのは嬉しいし、自分でもなんとかお金を稼ぐことができると小さな自信になった。

その頃から、中断していた英語と中国語の学習も再開した。夏に中国、日本の学生が両国を相互訪問するサークルにも関わり始め、ゴールデンウィーク満洲を旅行した。2015年度の上半期は、学生生活で今のところ最も充実した期間を過ごすことができた。

特に結論はないのだが、かつての自分と同じような境遇にある人が読めば何か参考になるかもしれないと思って書いた。

勉強も運動も競争ではなく一人で楽しめるともっといい

一年前から、月に二回ほどのペースで市民プールに泳ぎに行っている。

もともと水泳は苦手だった。小学校の授業では、クロールはなんとか25メートル泳げたものの、平泳ぎはほとんど前に進まなかった。

授業は落ちこぼれを待ってくれず、泳ぎ方がわからなくて何度も立つことになっても25メートル泳がされ、全然面白くなかった。

中高はたまたまプールがなかったので、ずっと水泳から離れていたが、昨年、運動不足を解消するためにふと市民プールに行き、一人で泳いでみると、意外に楽しめた。

授業ではクラスメイトと比べられるが、本来運動は競争しなくても楽しめるものなのだと気がついた。

自分の身体と向き合い、どうすればもっと息継ぎが楽になるか考え実践し、少しずつ上手くなっていく。25メートルだったのが35メートルになり、50メートルになる。

今日は平泳ぎの足の動かし方を少し掴めたし、背泳ぎで初めてまともに泳ぐことができた。

小学校時代のように、上手くいったからといって先生やクラスメイトに褒められることはないが、小さな成功を自分で喜ぶことができる。人より下手でも、恥ずかしく思わなくていい。

運動が人より得意でないことが、運動を楽しめないことを意味するわけじゃない。

運動だけじゃなくて、勉強でも、何でもそうなのだと思う。音楽も読書も語学も、自分のレベルで楽しんでいれば、少しずつ上達していく。

学校でも、勉強や運動を、競争で勝つことではなく、一人で楽しむ方法を学べたらもっとよかったと思う。

もちろん学校で学んだことが基礎になって、今一人で勉強や運動を楽しめている部分もあるのだが、それにしても学校では競争が強調されすぎていたように思える。

中島らもは、「教養とは学歴のことではなく、一人で時間をつぶせる技術のことでもある」と言ったという。そういう意味での教養を大切にできる社会になったら、もっと生きやすくなると思う。

中国東北旅行10 中国旅行を便利にする4つの方法

5/7〜8

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長春→上海→大阪)

 翌朝は長春の動物園を見る。

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 『ねじまき鳥クロニクル』の舞台となった場所だから来たが、特に気持ちが入らない。正直、ノモンハンでも、ここでノモンハン戦争が起きたというのは印象的だったが、この辺りが『ねじまき鳥』の舞台だったというのは、あまり実感が持てなかった。あの小説は、フィクションとは思えないリアリティがあるが、リアリティは小説の中で完結しているため、舞台という「現実」の場所に行っても仕方がないのかもしれない。

 上海行きの飛行機に乗る。上海から大阪の便に乗り換えるが、天候不順で出発が2時間遅れる。関空に着いたのが日本時間の23時。もう家がある大阪北部までの電車はないので、関空のホテルに泊まろうと、全日空ホテル関空に行ってみる。シングルは売り切れており、ツインを一人で使うという形になるので、1万6千円とのこと。当然払えないので、梅田までバスで行き、ホテルかネカフェに泊まることにする。次の便は0時45分ということで、マクドで時間を潰し、10分前にバス乗り場に行くと、そこには長蛇の列が。

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 これは乗れないのではと危惧していると、幸いにも臨時便が到着する。だがその臨時便も、僕の前2人のところで満席になってしまう。というわけで、次の1時45分の便に乗ることになる。

 結局3時に大阪駅に着く。近くのネットカフェに入り、シャワーを浴びて『よつばと』2巻〜4巻を読んで寝た。

 

 以上で旅の記録は終わりである。

 中国に行くといつもお腹を壊すのだけれど、今回はお腹を壊さなくてよかった。東北の料理は比較的合っていたのかもしれない。

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 何を頼んでいいか分からない時に、「不辣不油腻的」(辛くも油っこくもないもの)と書いてみせたのもよかった。(左上部に書いてる)

 

 何より、今回の旅も、現地の中国やロシアの人たちにずいぶんお世話になった。改めて感謝を申し上げたい。谢谢(シエシエ)。Спасибо.(スパシーボ)

 

 また、最後までこの旅行記を読んでくれた皆様、ありがとうございます。お礼と言っては何ですが、中国旅行にあたって僭越ながら何点かお役に立ちそうな情報を差し上げます。

1.辛すぎたり油っこすぎるものは無理して食べない

 中国に旅行・留学する日本人が、無理に食べてお腹を壊すのは、何度も目にしてきました(自分も経験しました)。これは無理と思ったら、お店の人には申し訳ないですが、無理に食べない方がよいと思います。初めから「辛いのと油っこいのはなしで」と言っておくのも一つの手でしょう。

2.SIMフリー端末を持って行き、中国の携帯会社と契約しよう

 ネット、特に中国の携帯会社の回線があると何かと便利です。メニューを画像検索したりできるのでより安心して食事ができたり、鉄道を予約できたりします。

 また、Wi-Fiが、マクドナルドやスタバ、駅、観光地など都会であれば日本以上に至る所にありますが、これらのほとんどが中国の携帯番号がないと使えないようになっています。ほんの少しのネット契約をするだけでも、これらWi-Fiが使えるので便利です。

3.中国語は少しでいいから出来たほうがいい

 中国では英語はほとんど通じません。若い人はできる人がいますが、30代以上くらいになると、日本人以上にできないと思ってよいでしょう。

 正直、全く中国語ができないで、中国の色々な町を時間をかけて旅行するのは、旅慣れている人でないと厳しいのではないかと思います。中国語がある程度できる状態で行くことをおすすめします。

 中国語は日本人にとってとても学びやすい言語です。文法はかなり違いますが、語彙がかなり共通しています。僕の経験では、大学の授業で1コマを1学期=90分授業×15回くらい受ければ(もちろん予復習をして)、なんとか一人で旅行できると思います。独学で30時間(=1日あたり30分×2ヶ月)くらいでしょうか。忙しい方でもなんとか2ヶ月くらい頑張れば、中国旅行が楽しめます。

4.学生は学生証を持って行こう

 中国の観光地は入場料が高くて、50元=1000円くらいすることはよくあります。でも、学生証があれば半額です。日本の学生証でも、10回に8回か9回くらいは半額券が買えるので、忘れずに持って行きましょう。

 

 最後に 中国を旅行するのは楽しい

 中国を旅行するのはとても楽しいです。どれだけ行っても飽きないです。中国は日本の25倍の面積があり、13億人住んでいます。そして55の少数民族がいます(いることになっています)。広くて多様です。

 そして、物価もそう高くない(場所によるけど、日本の半分くらい?)上に、近いので、気軽に行くことができます。

 僕自身、中高の時は日本を旅行していたのですが、今は正直行き尽くした感じがしています。でも、春秋航空LCCで片道1万円で行ける隣国に、まだまだ行きたい場所があるというのはとても幸せだなと思います。

 まだ中国に行かれていない方は、ぜひ行ってみられることをおすすめします。

 皆様の中国旅行がよいものとなりますように。

 

 中国東北旅行編、終わり。

中国東北旅行9 中国人は席を譲る

5/6〜7

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(大連→瀋陽長春

 翌日は大連博物館に行く。近現代の大連・旅順のことが当時の文物とともに解説されていて面白い。地球の歩き方にも書かれているが、歴史に対して非常に客観的である。中国の資料館は時々、日本帝国=悪という文脈でしか語っていないところがあるが、ここは淡々と事実を述べている風で安心して見ることができる。

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(北洋艦隊の旗。龍(清)が太陽(日本)を呑み込もうとしている。北洋艦隊が日本海軍を仮想敵としていたことがわかる。)

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(鉄道の行先表示。新京行き)

 昼ごはんに駅チカをさまよっていると、地下3階に食事街を見つける。地下3階というのがすごい。勘だけど、中国は寒くなる都市は地下街が発達する傾向にあるような気がする。ウルムチが都市規模のわりに地下街が大きかったのを憶えている。

 昼ごはんは、そろそろ中華がキツくなってきたので、韓国料理を食べた。

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 大連を離れる。大連駅は日本時代のものを使っている。

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 この旅初めての高速鉄道に乗り、瀋陽へ。高速鉄道は最高時速300kmで東北の平野を駆け抜ける。大連ー瀋陽400kmがたった2時間である。

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(CHR3型電車。ドイツシーメンス社の技術を基に中国で製造されている)

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(内装は日本の新幹線とよく似ている)

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 瀋陽は入関する(山海関を越えて中国本土=漢族地域を支配すること)まで清の都だったところだ。清の前身となる後金は1616年に女真族ヌルハチによって建国された。後金というのは後世の人びとが付けた名で、当時の女真族はその国を「金」と呼んでいた。金という国は、12世紀に今の東北から華北を支配した国である。女真族が建国したこの国は、漢族の宋と対立していたが、常に軍事的優勢を保っていた。ヌルハチはその金を3世紀ぶりに復興させたつもりであったのだろう。だが、第二代皇帝のホンタイジは国号を清に変更し、また都を盛京(今の瀋陽)に移す。ホンタイジの清は内モンゴルのハルハ族を征服する。3代皇帝順治帝の時代には北京入城を果たし、都を北京に定める。都が北京に移った後も、盛京は清帝国第二の都であり、しばしば清の皇帝は盛京で政務を行った。その盛京の都跡は、「瀋陽故宮」として世界遺産にも登録されている。

 瀋陽故宮そばのホテルに泊まるために、瀋陽駅から地下鉄に乗る。中国の地下鉄やバスに乗っていて気づくのは、皆が積極的にご老人に席を譲ることだ。例え3mくらい離れていても、大声を出して「ここ空いてるから座り!」と言う。

 だいたいこういう会話がされている。

 電車におじいさんが乗ってくると、座っていた男がさっと立ちあがり、「おっちゃん! 座って!」と声をかける。おじいさんは「ええって! 3駅しか乗らへんさかい!」と断るが、男は「俺もすぐ降りんねん! ええから座り!」と勧める。「すんませんなー。ほな座らせてもらいますわ。ありがとう。」とおじいさんは座る。

 面白いのが、譲られる側が一度必ず断ることだ。そして譲ってもらったら、すごく感謝している風に、「谢谢!」と何度か言う。

 日本では、おばあさんが何人かで電車に乗る時に、「あんた座り!」「うちはさっき座ったやん。あんた座り!」と席を譲り合う会話をしているが、中国ではそれが、老人と若者、しかも他人同士という大きなスケールで行われている。

 日本にいると、席を譲ろうと思っても、「この人は席を譲られたら年寄り扱いされたと思って嫌ちゃうかな…」とためらってしまうが、中国では、年寄りは席を譲られるものだという社会合意があるため、そういうことは考えずに素直に譲ることができそうだ。

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瀋陽故宮地図)

 瀋陽故宮のそばの「錦江之星」という全国チェーンのホテルに泊まる。朝食込みで220元。本当は瀋陽駅の近くにある旧ヤマトホテル(400元)に泊まりたかったのだが、「カフェ&クラブ大和」での出費が痛かったので諦めることとする。

 日本では「東横イン」「アパホテル」などが全国各地に見られるが、中国でも、「錦江之星」「如家酒店」「7daysInn」などのビジネスホテルが全国展開している。必要十分な設備が整っている上に、200元前後と経済的である。何より重要なことに、ほぼ必ずWi-Fiがある。僕はこれらビジネスホテルに泊まるのは結構好きである。

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(単純明快な部屋)

 

 夕食は、昼ごはんに引き続き韓国料理。石焼ビビンバにした。

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 中華はつらくなってきた。韓国料理おいしい。

 

 翌朝は瀋陽故宮を見て回る。入場料が60元もするが、学生は30元。日本の学生証を見せて、「日本の学生証も当然使えるよね」という顔をして「学生票(シエションピャオ)」と言うと、学生票が買えた。

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 瀋陽故宮は広くて、展示もしっかりしていて面白かった。結局2時間半も故宮にいた。

 

 高速鉄道長春へ。

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 座席の前にある旅行雑誌に、京都が紹介されていた。もっと有名になってほしい。

 

 この日は天気が悪く、しかも寒い。少し風邪気味になってしまう。ホテルに着いて休む。外に出たくないなー、中華は胃に来るんだよなーと思いながらホテルのそばを歩くと、日本料理店を見つけた。78元ほどしたが、弱っている身体には日本料理はありがたい。

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長春で食べた日本料理。うまかった。食べかけですみません)

中国東北旅行8 そこから旅順港は見えるか!

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(旅順・大連)

 大連駅に朝6時に着く。大連は高層ビルが立ち並ぶ。今回の旅で一番の都会だ。

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(大連駅前のビル街)

 町の中心にある旧ヤマトホテル、大連賓館にチェックインする。中国のホテルは、チェックアウトはだいたい12時までと決まっているが、チェックイン時間はわりと自由で、朝から泊まることができて便利だ。大連賓館は小ざっぱりとしたいいホテルだが、Wi-Fiがないのが非常に残念だ。

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(大連賓館=旧大連ヤマトホテル。1907年からの歴史がある。)

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(大連賓館は、大連市の中心である中山広場に面している。中山広場からは放射状に道が伸びている。)

 大連駅から直通バスに乗って旅順へ行く。1時間ほどで旅順に着く。旅順は、19世紀の終わり、清の李鴻章が率いた北洋艦隊が基地の一つにした時に築かれた港、要塞である。港の周囲が山で囲まれており、ここに砲台を置けば敵の船は港に入ることができない。しかし日清戦争で日本軍が陸側から簡単に陥落させ、下関条約遼東半島は日本領となった。が、ロシア・ドイツ・フランスによる三国干渉ですぐに清に返還させられ、1898年の義和団事件を機に旅順・大連はロシアの租借地となる。太平洋側に不凍港(冬も凍らない港)を求めていたロシアは初めてそれを得ることができ(ウラジオストクは冬期に凍結する)、旅順に当時にして世界最大級の要塞を建設する。旅順港にはロシア帝国の首都ペテルスブルクから軍艦が送られ、ロシア旅順艦隊が結成される。ロシアは旅順を基点に、中国や朝鮮の権益を拡大させようと試みる。朝鮮を国防の重要拠点と認識していた日本は、ロシアと激しく対立することとなる。

 1905年日露戦争が勃発すると、黄海海戦で日本海軍連合艦隊はロシア旅順艦隊に打撃を与える。劣勢になった極東艦隊は、旅順港に立てこもり、決戦の機会を待つ。決戦の機会とは、ペテルスブルクから喜望峰、インド洋、マラッカ海峡を経てやってくるバルチック艦隊と合流し、ロシア連合艦隊を結成し、日本海軍連合艦隊と戦うことである。

 日本海軍は旅順港に立てこもったロシア極東艦隊を港から出られなくしようと、旅順港閉塞作戦を行う。旅順港の出入り口になる場所に日本の船を沈めて、ロシア極東艦隊が通れないようにしようというものである。閉塞作戦は3度行われたが、旅順要塞の激しい砲撃の前に全て失敗する。

 そこで海軍は陸軍に、バルチック艦隊が到着する前に、陸から旅順を落としてくれるようお願いする。陸軍は「旅順は小指の先のようなもので、遼東半島という根本を縛って放っておけば腐っていく」(司馬遼太郎がこんな表現をしていたと思う)と、特に戦力を割くつもりはなかったが、海軍の要請に従い旅順要塞を攻略することに決める。乃木希典率いる第3軍が結成され、旅順攻略を始める。

 バルチック艦隊が着々と日本に近づく中、世界最大の要塞は簡単には落ちず、大量の死傷者を出す。そして、この旅順要塞攻防戦で最大の激戦地となったのが、203高地を巡る戦いである。203高地とは、名前の通り標高203mの山である。旅順の郊外にあるのだが、ここから旅順港を見渡すことができる。日本陸軍が203高地を手に入れ、ここに観測点を設ければ、山の後ろの日本軍占領地から打った大砲を正確に、港に停泊している極東艦隊に届かせることができる。極東艦隊を失った旅順は存在意義を失い、旅順攻防戦は日本の勝利となる。

 第一回総攻撃から4ヶ月後、ついに203高地は陥落する。そして日本の砲弾が旅順港に降り注ぎ、ロシア極東艦隊は消滅する。

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(旅順港と203高地)

 この辺りの歴史に興味がある人のほとんどがご存知だと思うが、司馬遼太郎の『坂の上の雲』を読むとこの時代のことがよくわかる。また、2010年から2012年にかけてNHKが同小説をドラマ化している。小説は文庫本で全7巻と結構長い。中学生の時になんとか頑張って読みきったのを憶えている。大学生になってからも1度読んだが面白かった。

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)

 

 

 ドラマの方は、90分×全13話である。僕はこのドラマはすごく好きで、もう4回くらい見ている。香川照之正岡子規を、阿部寛秋山好古日本陸軍)を、本木雅弘秋山真之(日本海軍参謀)を演じている。あと、秋山兄弟の親父を演じた伊東四朗とか、高橋是清を演じた西田敏行がすごくいい味を出している。乃木希典を演じた榎本明とかかっこよすぎ。

NHKスペシャルドラマ 坂の上の雲 第1部 DVD BOX

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 さて、203高地を登る。一帯は風景区となっており、ちょうど桜祭りがやっていてきれい。たくさん観光客が訪れている。桜は日中友好の証として、日本から送られたものらしい。

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(桜がきれい)

 頂上に辿り着く。ドラマの旅順編クライマックスで、203高地を再び奪取したという電話を受けた児玉源太郎が、現地の兵に「そこから旅順港は見えるか!」と聞き、「見えます!まる見えであります!」と兵が答える場面がある。あれを視て、203高地から旅順港は本当にまる見えなのか確かめたかったが、ついにそれを見ることができた。確かに見える。今は高層ビルでいまいち見えないけど、明治時代は丸見えだったと思われる。

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(203高地から旅順港を望む)

 観測点の近くには、慰霊塔がある。日本とロシアの兵士、そして戦争の巻き添えになった旅順市民に向けて手を合わせる。

 先述したドラマ「坂の上の雲」で興味深いのが、日本軍の砲弾が旅順市街に降り注ぐ時に、それに巻き込まれる中国の人々を描いているところだ。「旅順の戦い」は日本とロシアの戦いだが、戦場は中国であり、日本とロシアの兵隊だけでなく、中国の一般市民も戦争で苦しんだのだ。そのことは忘れないでいたい。

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(戦後乃木希典は「203高地」を「爾靈山(にれいさん)」と名づけた。「爾(なんじ)の霊の山」である。)

 

 203高地を降りて、旅順博物館へ。

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(旅順博物館。1915年からの歴史がある。)

ここは、明治時代に新疆を探検した西本願寺住職大谷光瑞率いる「大谷探検隊」が集めた文物を保存している。大谷は旅順に移り住んだため、残っているのだ。

 そのため、シルクロード・仏教関連の展示が多い。

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(飛びながら琴のようなものを奏でる仏さまと、飛びながら踊る仏さま)

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(飛びながら楽器を奏でるのは楽しそうだ)

 ここで生まれて初めてミイラを見る。禁止されていたため写真はないが、人間が乾燥するとこんな風になるとは結構衝撃的だった。他にも、シルクロードの興味深い文物があって面白い。僕は今回の旅行を含めて7回海外旅行をしているが、大学に入る直前の3月に行った西安からカシュガルまでのシルクロード旅行が一番印象に残っている。タクラマカン砂漠を鉄道で通り抜けウルムチカシュガルに行くと、人々の顔つきが変わる。彫りの浅い漢族から、ウイグル族を始めとする彫りの深い西部の少数民族の人びとが町を歩いている。モスクがあり、絨毯が売られ、ナンのような薄くて丸いパンが焼かれ、羊の肉を串刺しにして焼く芳ばしい香りが鼻をつく。最近、NHKスペシャルの『シルクロード』を見ているが、これもとても面白い。1980年にNHKと中国と共同で新疆を車で巡り、現在と過去のシルクロードについて取材している。新疆に外国人が入るのは新中国になって初めてであった。1980年代の日中蜜月時代だから成し得たことだ。

 

 

 いつかあの先、カシュガルの先、つまり中央アジア西トルキスタン諸国、そしてペルシア、トルコ、ギリシア、ローマとシルクロードを旅行してみたい。

 旅順博物館の後は、白玉山塔に登る。日本時代は表忠塔と言った。乃木希典東郷平八郎が慰霊のために建てさせたという。ここからは旅順港をくっきりと見渡すことができる。

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(旅順東港)

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(旅順西港)

 興味深かったのが、この星と丸である。

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 星は丸の上に付けられたもののようだ。

 ということはつまり、丸は日本国国旗をデザインしており明治に建てられた時のもの。戦後中国はその上に星を貼り付けたのだろう。だが風が強いためだろう、半分ほどは取れてしまっている。

 塔に向かって手を合わせ、山を降りる。

電車と路面電車に乗って帰る。路面電車202系統は郊外まで通じている。

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 市内中心部分を走る201系統は日本時代の電車を走らせている。かっこいい。

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 京都市バス201系統より大連市路面電車201系統の方がずっとオシャレだ。

 夕食後、大連賓館の2階に「大和 喫茶店&クラブ」という店を見つけた。Wi-Fiがあるか尋ねると「ある」とのこと。「クラブ」とか「キャバレー」という場所は行ったことがないが、お酒を飲んでおねえさんとお喋りするお高い所と思っていたが、メニューを見せてもらうとビールが30元くらいでそう高くないので入ることにする。

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(朝撮った)

 黒ビール40元が美味しいとのことなのでそれを飲む。確かにうまい。添えられたお菓子も食べる。『ねじまき鳥』も、phaさんの『ニートの歩き方』(京大卒ニートの自由な生き方を書いた本)の再読も終わり、以前kindle無料本で買った安野モヨコの『働きマン』の続きを買ってダウンロードしたり(ビジネスパーソンの仕事や私生活やらの葛藤がよく描けていて面白い)、買ったけど読んでなかった『目玉焼きの黄身いつ潰す?』という漫画(目玉焼きやカレーの食べ方一つ取っても一人ひとり違うものだ。普段意識していない「食べ方」について考えさせられた)をダウンロードしたり、はてなブックマーク人気エントリーを読んで遊んだりしていると、「ビールもうすぐなくなるけど、何飲みますか?」と言われたので、水(10元)を頼む。水を飲んでお菓子を食べながらネットをしていると、日本人のおじさんがだみ声でテレサ・テンの『時の流れに身をまかせ』を歌い始めうるさくなったので帰ることにする。「50元(=1000円)はちょっと痛いけど、ビール飲めたし何よりWi-Fiが使えたからいいかー」と思ってお会計をしに行くと、「150元です」と言われる。こういう店はメニューに書いてある値段通りではないらしい。どうも世間知らずで困る。手元にそんな大金はないので部屋に取りに帰り、払う。150元もあれば悪くないホテルで一泊できるのに。高い勉強代になってしまった。

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(「大和 喫茶店&クラブ」でビールを飲みながら「はてなブックマーク人気エントリー」を読む)

中国東北旅行7 中国人は京都を知らない

5/3〜4

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ウラジオストク→牡丹江→大連)

 朝早起きして、ホテルのおじさんが呼んでくれたタクシーに乗り(おじさんが、「タクシー呼んだるわ」とGoogle翻訳で言ってくれた。めちゃ親切)、ウラジオストクバスターミナルまで行く。

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 Antilopa Hostel はとてもいいゲストハウスだった。またウラジオストクに行く機会があれば是非泊まりたい。

www.tripadvisor.jp

 タクシーは220ルーブルだった。おそらくこれが相場なのだろう。ウラジオストクへの行きは2倍も取られてしまった。

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ウラジオストク郊外のバスターミナル)

 中ロ国境の街ポグラニチニまでバスに乗ると、韓国人カップルと出会った。男の方は流暢な日本語と中国語を話す。女の方は少しだけ中国語ができるようだ。中ロ国境を越えて、またウラジオストクに戻るという。「韓国のゴールデンウィークは5月1日のメーデーから5日までなので、もっと旅行していたいけど帰らなければいけないです」と悲しんでいた。「日本のゴールデンウィークは4月29日の昭和天皇の誕生日からですね。でもメーデーは祝日じゃないです」と言うと、「昭和天皇の誕生日が祝日ですか!」と驚いてカップルで盛り上がっていた。

 中国側のまち绥芬河行きのバスに乗る。バスには途中から、ロシアの大麦か何かを中国に運ぶ仕事をしている男たちが乗り込んでくる。ケーキの材料になると言っている。ケーキのような可愛らしいものを作るために働いているとは思えないほど粗暴な連中である。ロシアの国境を越える時はなぜか僕ら日本人と韓国人に荷物を持たせようとしてきた。怪しいのでもちろん持たない。

 韓国人カップルの女の方は彼らの粗暴さに怖がっていた。僕も内心少し怖い。中国人と比べると、日本人と韓国人はずっと性質が近いような気がする。

 绥芬河からバスに乗り、牡丹江へ。牡丹江では金鼎国際大酒店(「酒店」は中国語でホテルの意味)に泊まったが、ここがとても良かった。スタンダードルームが220元なのだが、もっと安い部屋はないか聞いたところ、130元で泊まることができた。中国のホテルでは「安い部屋ありますか?」と聞いてみると、非公式の安い部屋が出てくることがたまにある。

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(今回の旅行で一番高級感があり一番安かった金鼎国際大酒店)

 

 地球の歩き方によると、牡丹江の街は日本によって基礎が作られたようだ。長春もそうだが、日本によって作られた街は道路が広くスッキリした印象を受ける。

 翌朝、牡丹江から大連行きの汽車に乗る。

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 もともと大連は行くつもりがなかったのだが、案外スムーズに旅程が進んだので余裕ができた。硬卧が売り切れていたので软卧に乗る。

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(軟臥。右が僕のベッド。牡丹江ーハルビンは向かいのベッドにおっちゃんがいた)

 

 昼ごはんは車内販売の弁当を食べた。20元。

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 食堂車は高い(60元くらい)のでやめる。

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 ハルビンからは、金州(遼東半島の町)で保育士をしている27歳のおねえさんと、煙台(山東半島の町)でタクシーの運転手をしているおばちゃんと同じ部屋になる。タクシーの運転手とは中国を旅行するとよく話すことになるが、タクシー以外の場所で話すのはこれが初めてだ。煙台へは大連から船に乗るという。大連港からは今も煙台、威海、青島、天津、仁川(インチョン)などに船が出ている。

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 「大学はどこなん?」と聞かれ、「京都大学」と答えると、「東京にあるん?」と聞かれる。「京都大学在京都! 你们不知道京都吗?(京都大学は京都にあるの! 京都知らないの?)」と聞くと、「知らん」とのこと。「为什么不知道! 京都是日本的首都从794年到1868年!(なぜ知らない! 京都は794年から1868年まで日本の首都だったのに!)と言っても、「へえ、日本の首都ってずっと東京だと思ってた」となんともあっさりした反応である。「大阪に住んでいるのだけど、大阪は知ってる?」と聞くと、知っているとのことだった。それにしても、京都を知らないなんてちょっと日本に興味がなさすぎるのではないだろうか。だが大学の中国語の先生も、「中国人は結構、京都を知らないですね。『京都大学』と言うと、『東京にあるの?』って聞かれます」と言っていた(「京」は「みやこ=首都」の意味だから)。

 関西生まれ関西育ちとして、日本の首都であり続けた京都にはプライドを持っているので、実際に「京都? 知らんわ」と言われるとかなりショックである。関西人アイデンティティと日本人アイデンティティが同時に傷ついた気がする。中国の古都と言えば西安(旧長安)や南京であるが、中国人も、日本人に「セイアン? 昔はチョウアン? 知らんなあ」とか「ナンキン知ってるよ。南瓜は厚揚げと一緒に煮込むと美味いよなあ」とか言われると結構悲しいと思うし、西安や南京の人がそれを言われるとかなり凹むのではないだろうか。

 だが、中国人以外に「キョート? 知らないなあ」と言われても、そんなに傷つかないかもしれない。日本の学校では中国の歴史を詳しく学ぶが、日本で中国史が重視されているのだから、当然日本と付き合いが長い中国でも、日本の歴史は学ばれているものと思いたいという、無邪気な(勝手な)信頼感を持っていたのだが、現実はそうでもないかもしれない。

 保育士さんに「微信やってる?」と聞かれる。微信とは中国版LINEのようなものだ。アドレスを交換し合う。微信をしているか聞かれるのはこの旅行で三度目だ。日本人同士が「てかLINEやってる?」に至るにはもう少し距離感が縮まってからのような気がするが、中国の人は結構気軽にアドレスを交換し合うのだろうか。

中国東北旅行6 ウラジオストク=極東を征服せよ

5/2

 シャワーを浴びて(安いホステルなのにお湯が出る。湯量も十分。素晴らしい)、早速朝ごはんを食べに行く。やはりおいしい。味付けが合う。

 外は霧が出ている。ウラジオストクは坂の街である。天然の良港とはこの街のためにあるように思える。ロシアは1860年、清と英仏が戦ったアロー戦争の講和を仲介した見返りに、沿海州を併合する。なんとも強引だが、そこまでして帝政ロシアが欲したのもわかるような気がする。「ウラジオストク」は「極東を征服せよ」という意味である。恐ろしい名前である。

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 この街はしかし観光資源に乏しく、しかも少ししかない観光地は街の中心に収まっていて徒歩で行ける。ウラジオストク駅に行くとモスクワ行きの切符などが売っている。いつかシベリア鉄道に乗ってみたい。

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 ウラジオストク市街の地図を見る。港は「金角湾」と呼ばれているようだ。金角湾といえば、ローマ帝国ビザンツ帝国)の首都、コンスタンティノープル(現イスタンブール)である。ちなみに、イスタンブール中心部の地図は以下である。

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 コンスタンティノープルウラジオストク同様、町の中に海がぐっと入り込んでいるのがわかる。地図中央上部に「金角湾」の文字が見えるように、この湾が金角湾である。

 ロシア帝国の前身であるモスクワ大公国のイヴァン3世は1472年、ビザンツ帝国最後の皇帝コンスタンティヌス11世の姪ソフィアを妻とし、ローマ帝国の継承者であることを宣言した。そして、1547年にモスクワ大公国は、ロシア帝国に昇格する。1860年に沿海州を併合し、ウラジオストクを建設し始めたロシア帝国は、この極東の港町を、往時の帝都コンスタンティノープルになぞらえたのだろう。

 軍港や冷戦時代のものと思われる要塞を見て歩くと3時間ほどで観光が終わった。

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 疲れたので一眠りして目を覚ますと、外は雨が降っている。夕食を食べに行く。近くのロシア料理店に入り、サラダと魚のフライ(本当はフライより焼くか煮こむかの方がよかったが、注文したらそれが出てきた)とティーを注文する。合計800ルーブル(1600円)ほど。少し高いがウラジオストク最後の晩餐である。やはりおいしい。サックスフォンの生演奏もあり、とても楽しめた。

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 ロシアの人は、女性は愛想が良いが、男性はわりとムスッとしている。が、実は男性も女性も両方、かなり親切だ。男性がムスッとしているのは、男たるもの外で笑顔など見せてはならない、みたいな尚武の器質があるのだろうか。

 ロシアという国はアフガン侵攻だったりクリミア併合だったり、何かと膨張主義的で物騒な印象があったが、やはり国が怖いのと個人とはまた別だと、当たり前のことを実感する。思えば3年前、大学に合格した3月に中国の陜西省・甘粛省新疆ウイグル自治区を旅行した時も、行くまでは中国人は何をするかわからない連中だというイメージだったのが、普通にいい人たちだとわかった。中国もロシアも、テレビの報道だけを見ているとネガティブな印象を持ちがちだが、やはり実際に行ってみないとわからないものだ。