中国東北旅行6 ウラジオストク=極東を征服せよ

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 シャワーを浴びて(安いホステルなのにお湯が出る。湯量も十分。素晴らしい)、早速朝ごはんを食べに行く。やはりおいしい。味付けが合う。

 外は霧が出ている。ウラジオストクは坂の街である。天然の良港とはこの街のためにあるように思える。ロシアは1860年、清と英仏が戦ったアロー戦争の講和を仲介した見返りに、沿海州を併合する。なんとも強引だが、そこまでして帝政ロシアが欲したのもわかるような気がする。「ウラジオストク」は「極東を征服せよ」という意味である。恐ろしい名前である。

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 この街はしかし観光資源に乏しく、しかも少ししかない観光地は街の中心に収まっていて徒歩で行ける。ウラジオストク駅に行くとモスクワ行きの切符などが売っている。いつかシベリア鉄道に乗ってみたい。

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 ウラジオストク市街の地図を見る。港は「金角湾」と呼ばれているようだ。金角湾といえば、ローマ帝国ビザンツ帝国)の首都、コンスタンティノープル(現イスタンブール)である。ちなみに、イスタンブール中心部の地図は以下である。

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 コンスタンティノープルウラジオストク同様、町の中に海がぐっと入り込んでいるのがわかる。地図中央上部に「金角湾」の文字が見えるように、この湾が金角湾である。

 ロシア帝国の前身であるモスクワ大公国のイヴァン3世は1472年、ビザンツ帝国最後の皇帝コンスタンティヌス11世の姪ソフィアを妻とし、ローマ帝国の継承者であることを宣言した。そして、1547年にモスクワ大公国は、ロシア帝国に昇格する。1860年に沿海州を併合し、ウラジオストクを建設し始めたロシア帝国は、この極東の港町を、往時の帝都コンスタンティノープルになぞらえたのだろう。

 軍港や冷戦時代のものと思われる要塞を見て歩くと3時間ほどで観光が終わった。

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 疲れたので一眠りして目を覚ますと、外は雨が降っている。夕食を食べに行く。近くのロシア料理店に入り、サラダと魚のフライ(本当はフライより焼くか煮こむかの方がよかったが、注文したらそれが出てきた)とティーを注文する。合計800ルーブル(1600円)ほど。少し高いがウラジオストク最後の晩餐である。やはりおいしい。サックスフォンの生演奏もあり、とても楽しめた。

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 ロシアの人は、女性は愛想が良いが、男性はわりとムスッとしている。が、実は男性も女性も両方、かなり親切だ。男性がムスッとしているのは、男たるもの外で笑顔など見せてはならない、みたいな尚武の器質があるのだろうか。

 ロシアという国はアフガン侵攻だったりクリミア併合だったり、何かと膨張主義的で物騒な印象があったが、やはり国が怖いのと個人とはまた別だと、当たり前のことを実感する。思えば3年前、大学に合格した3月に中国の陜西省・甘粛省新疆ウイグル自治区を旅行した時も、行くまでは中国人は何をするかわからない連中だというイメージだったのが、普通にいい人たちだとわかった。中国もロシアも、テレビの報道だけを見ているとネガティブな印象を持ちがちだが、やはり実際に行ってみないとわからないものだ。