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大学3回生のとき、就職したくなくてうつ状態になった

就職活動

大学3回生の10月、就活をしないといけないのに全くやる気が出なくて、でも時間は過ぎていくことにプレッシャーを感じて、うつ状態(正確にはわからないが…)になった。

僕は吃音(どもり)があって、それもわりと重くて、面接のような場面はとても苦手だし、コミュニケーションの苦手意識もその時は強くて、就職してから仕事や周囲とのコミュニケーションをやっていけるかとても不安だった。

僕は高校生くらいから、海外、特に中国を中心にした東アジア・東南アジアに興味があって、何度も旅行をしているし、今も中国の学生と関わるサークルをしているくらいで、中国など海外と積極的に関わる仕事に興味があったが、当時の自分はそれをする自信がなくて、それで吃音をあえてアピールできる障害者関係の仕事を探してみたが、本当の関心がないのでやる気が出ず、行き詰まってしまった。

自信を失い人と会うのも嫌になって、10月は、授業は週に2コマくらいしか行かず、期末レポートで成績をつける授業はまだしも、出席を取る語学は出ないといけないとわかっているが、語学は当てられて答えないといけなくて、吃音の自分にはわりとプレッシャーがかかり、でも1回生からなんとかやってきたのだが、その時は吃音の症状も重くなっていて、出る勇気がなくなっていた。

授業に出ず家で何をしていたかというと、だいたいネットで「大学生 働きたくない」とか調べていた。あまり参考にならないサイトも多かったが、いいサイトもたくさん見つけた。

カウンセリングサービスや、phaさんは、存在は前から知っていたが、その時に初めて真剣に読んで、とても救われたし、今でも支えになっている。

少し胡散臭いが、自殺サイトというものも見つけて(タイトルが自殺を煽っていそうだが、そのような内容ではない)、芥川龍之介の自殺に関する文章などを読んで、共感するところがあった。

吃音関係でいえば、乗り移り人生相談という、どもりで元名編集者の島地勝彦というお爺さんが読者の質問に答えるサイトがあって、どもりの人へ自信をつけさせる文章や、男尊女卑に見えて実は女性への愛に満ちた恋愛相談が面白かった。

本もよく読んだ。1回生の頃から好きな村上春樹の小説の一節が、ときどき胸に突き刺さった。中島義道も面白く読んだ。『働くのがイヤな人のための本』や『カイン』などはとても共感した。言葉の扱いが上手い人が生きにくさを言語化してくれると、自分で言語化できなかった感情を言葉にできるので、とても助かる。

何気ない風景の美しさも印象に残っている。一日中部屋に引きこもっていて、5時頃にそろそろ閉館する図書館に本を返しに自転車に乗り、ふと見上げた空が夕日に染まっていて、それが、今まで鬱屈と部屋に閉じこもっていたこととの対比のためか、とても美しかった。普通に朝昼に外出していたり、まともな精神状態だと、あの美しさは味わえないのではないかと思う。

2~3日に1日くらい身体を動かした。外を走ったり、水泳をしたり。自転車で15分すると山とちょっとした渓谷があって、山の麓や谷を走った。やはり自然がとても美しく見えた。

10月終わりには、来年度は休学することを決めた。そう決めると気分が楽になり、なんとか授業にも出席した。身体を動かすことに、吃音にいいかもしれないと興味を持って、個人的にしている水泳とランニングに加えて気功や合気道や演劇を習い始めた。合気道とランニングはすぐにやめたが、演劇は半年やって、芝居にも出させてもらった。水泳は、前にブログにも書いたが、今もほそぼそと続けている。

カウンセリングにも行った。大学にカウンセリングセンターがあって、無料で受けることができる。一度面談をしたら、あなたには女の先生がいいだろうと言われ、毎週決まった1時間にカウンセリングを受けることになった。カウンセリングの先生はほとんど何も話してくれず、基本的に僕の話を聞くだけだった。僕は初めはあまり話さなかったが、次第に話すようになった。でも基本的に特に返答はなく、物足りない感じがした。おそらくそのカウンセリングは自分の気持ちを話すことを目的としていたが、そのときは、母によく会って、気持ちをかなり率直に語っていたし、母の友達で『ねじまき鳥クロニクル』の「仮縫い」のような仕事をしている人がいて、その人にも色々話していた。一人で話したり、文章にして、気持ちを言語化することもしていた。だから必ずしもカウンセリングが必要だったとは思わないが、カウンセラーの先生は話を聞くことに慣れているから、こちらもほとんど遠慮なく話すことができたのがよかった。

祖母の炊事の手伝いもした。何をするかは祖母が指図し、僕はそれを実行した。絵も描いた。高橋留美子こうの史代の漫画をそのまま紙に写した。そういう具体的な何かを完成させるのは、自分がここにいるということを確認できるような気がしてよかった。

母子家庭や地域の子供、障害を持つ学生を支援するNPOにスタッフとして参加させてもらえないか話をしに行き、OKをもらったが、結局どこも行かなかった。僕は直接他人を支援する仕事には向かないのかもしれない。

2月からは、僕はそれまでまともにバイトをしたことがなかったのだが、校正のバイトを始めた。気軽に働いていたが、お金を貰えるのは嬉しいし、自分でもなんとかお金を稼ぐことができると小さな自信になった。

その頃から、中断していた英語と中国語の学習も再開した。夏に中国、日本の学生が両国を相互訪問するサークルにも関わり始め、ゴールデンウィーク満洲を旅行した。2015年度の上半期は、学生生活で今のところ最も充実した期間を過ごすことができた。

特に結論はないのだが、かつての自分と同じような境遇にある人が読めば何か参考になるかもしれないと思って書いた。