ジェンダーの規範から自由になるーー異性装という選択肢ーー

 最近、服を買いに行くのが楽しい。女性服を買うようになったからだ。

 私は身長が150cm代後半、体重が40kg代前半と非常に小柄で、男性服は基本的にどれも大きい。Sサイズでもだいたい大きい。

 それでも、いつも男性服の売り場に行って、その中で一番小さい、それでも少し大きめの服を買って、袖をまくったり裾を折ったりして着ていた。

 でも、あるきっかけで女性服売り場に行くと、自分のからだに合ったサイズばかりで、選択肢が今までとは比べものにならないくらい増えた。女性らしさを強調した服以外にも、ユニセックス的な服はたくさんあり、それらはよく注意しないと女性物とわからない。今まで着ていた服よりからだに合っているので、着心地もいいし、見た目もカッコいい。

 とはいえ、女性服しか売っていない店に行くと、人目が気になってしまう。今は、ユニクロ無印良品に行っているが、これらのいいところは同じフロアに男性服と女性服の売り場があることだ。「男性服売り場に行くつもりだったけど、この店に慣れていなくて迷い込んだ人」とか「男性服売り場に行くつもりだったけど、なんとなくついでに女性服売り場に来てみた人」という設定にして、のびのびと女性服を見ることができる。男性服と女性服でほとんど同じデザインのものも多い。

 でももう少しおしゃれな感じの店にも行きたいので、妹にお願いして、「妹の買い物に付き合っている人」の設定で行ってみようと思う。いつかは自分一人でも女性服専門の店に入れるようになりたいが、もう少し時間がかかる。

 今まで、「男性服しか着ちゃダメだ」と思い込んでいたのが、もったいなかったな~と思う。そういう、自分の利益にも他人の利益にもならない規範意識は取り払ってしまうのがいい。

 女性服を着るようになったきっかけとは、「女性装」という言葉を生み出し、必ずしも男性服にこだわらず、女性服を含めて「私にとって自然な格好」をするという、安富歩さんの『ありのままの私』を読んだことだ。安富さんは、セックスは男性で、従って自動的にジェンダーも男性として生き、京大を出て三井住友銀行に勤め、若くして東大助教になるという、「エリート」の典型のような人生を送ってきた。だが、精神的な違和感は社会的地位が上がるにつれどんどん大きくなり、とうとう危機に至って、それまでの生き方を振り返ることになった。そうすると、自分を縛っていた、本当はいらない価値観に気がついた。その一つが「男らしさ」で、男性の服装をやめることはその象徴のようなものとなった。

 

ありのままの私

ありのままの私

 

 

 安富さんの写真を見ると、性的な意味ではなく、純粋にきれいだな~と思う。男性服を着ていた時の写真よりもずっと自分らしさが出ていて、美しい。

wotopi.jp

(話がそれるが、女性向けネットメディアwotopiは男性の私が見ても参考になる記事が多く、良質なメディアだ)

 

 私は今は男女どちらが着てもいいような服の、女性用サイズを着ているが、安富さんのように女性っぽい格好もできたらいいな~と思う。「今日は男性っぽい感じに」「今日は女性っぽい感じに」と、その日の気分で服装を分けることができたらおもしろそうだ。

 私はいわゆるセクシュアルマイノリティの自覚はない。98%くらいはヘテロセクシュアルと自覚している(私に限らず、たいていの場合100%とは言い切れないものだと思う。少年愛がしばしば見られた古代ギリシアや前近代日本の例を見ても、「ほとんどの人が100%ヘテロセクシュアル」というのは違うんじゃないだろうか)。だが、つきつめれば誰もがセクシュアルマイノリティである。

 「勉強も部活動も頑張っています」というのが日本の中高生の「あるべき姿」であり、特に男子の場合、その「部活動」は運動部のことだ。だが私は、運動そのものはわりに好きだが、前述した体格の小ささのために、同級生の男子に部活動という「競争」で勝つことはできず、中一で入った運動部はすぐにやめてしまった。まずこの時点で「健全な男子生徒」からは外れてしまっているが、幼稚園の頃から男子・男性社会に特有の粗野な感じはとても苦手で、小学生の時は女の子と教室で話をしたり一緒に帰ったりするのが好きだった。中高は男子校に通い女性との交流はほとんどなくなったが、共学の大学に通い、大学外でも活動をして、女性と付き合う機会がある今は、中高と比べて格段に居心地よい人間関係ができている。こう見ればわかるように、私は一般的な男性よりも女性性が強く、「男らしさ」の規範には適応できないし、したくない。そんな中で、安富さんがしたように女性の服を着ることは、「男らしさ」の規範から自分を自由にする象徴になり、希望が持てる。

 今の話は、私自身の吃音にもいえることだった。高校生までは「『普通』に話さなくてはいけない。そうできない自分はダメだ」と思っていた。だが、その「普通」という規範から逃れられた時に、ぐっと楽になることができた。

 私はジェンダーについても、規範からもっと自由でありたい。体格が小さいから、運動部じゃないから、文学部に通って「実学」をやらないから、「男らしくなくてダメだ」と言われるなら、そんな「男らしさ」なんていらない。ジェンダーの男性である前に、私は私なのだ。