「からだとことばのレッスン」琵琶湖合宿体験記

7月の三連休に、瀬戸嶋充さん主催の「からだとことばのレッスン」2泊3日の合宿が琵琶湖畔であった。 

宮沢賢治の物語を、3日間かけて芝居に起こすのである。

合宿がはじまる前から不安はほとんどなく、ひたすら楽しみにしていたのは、前回1月の神奈川県三浦海岸での合宿が、僕の今までの常識をひっくり返すくらいに楽しかったからだった。

その時も宮沢賢治の物語を読んだ。はじめは、朗読をするのだが、吃音のためにことばがつまってなかなか声にならない。そのために焦り、なんとか声を出そうともがく。だが、何度も皆でレッスンを重ね、朗読にしだいに動きが入り、それが芝居になっていくとき、どもるかどもらないかという意識を越えることができた。僕にとっていつも、人前で声を出すときにどもるかどもらないかは、とても重要なことであったし、今もそうだ。それは少なくとも僕にとって当たり前のことで、どもると、何せ目立つし、聞いている人もどうしていいか戸惑うことが多く、僕の方も申し訳なくなってしまう。ことばがのどにつまって出てこないことがはじまった、小学2年生の時以来、ずっと人前でつきまとった、「どもらなければいいな」という意識から、この芝居の瞬間はじめて自由になることができた。また、この時は、全然どもらずにセリフが言えたのだが、しかしやはりうれしかったのは、どもらなかったことではなく、どもるかどうかを含めて、ほとんどあらゆる自意識から自由になったことである。最後の3日間の集大成となる芝居では、『どんぐりと山猫』の山猫の小間使いのような役割の、「馬車別当」を演じたのだが、物語の世界に深く入り込んだためか、普段は使わない東北弁がすらすらと自分の生まれ育ったことばのように出てきて、馬車別当が楽しいときは楽しい感情が、悲しいときは悲しい感情が、それを「感情」と客観視する余裕も必要もなく自然とわき上がってきた。そうなると見ている方もおもしろいらしく、爆笑してくれるのだが、特にそれに気を取られることもなく、やはり馬車別当でいられるのであった。他の人も、とても自由で真剣で、30歳をすぎた人が犬や猫になって走り回ったり、喜怒哀楽が全身で表現されていて、それを客側で見るとおもしろくて仕方がなく、笑い転げてしまうのであった。

琵琶湖合宿1日目は、はじめはからだをほぐし、「ららららー」と声を出すことからはじまった。印象に残っているのが、ペアになって、「バカー!」と振り向きざまに叫ぶレッスンだ。ペアの人はIさんという男性。「バカー!」と言っても、言われても、あんまり気持ちよくないなとはじめ感じた。特に言われるときは、Iさんの顔がちょっと怖い。僕も怖い顔をしていたかもしれない。何度か、「バカー」と言い合う。すると、Nさんという女性が、このレッスンは合わないのか、やめて長椅子に座っているのが見えた。僕は特に気にせず続ける。どうすれば声が相手に届くかと考える。瀬戸嶋さんが「みんな、感情を込めて言おうとしている。感情は込めなくていい。音を届けることを考えればいい」と言われ、まずは「バ」だけ次に「カ」だけ、振り向きざまに言い合う。そうすると、さっきまであった嫌な感じがない。続けて、「バカー!」と言い合う。やはり嫌な感じはせず、ただ「バカー!」という音が出ていき、入ってくる。今まで、声をよく出すことは、感情を相手に伝えることだと思ってきたが、そうじゃないものがあるのではないかと気づく。気がつくと、Nさんは稽古場を離れて寝泊まりする建物に戻ってしまっていた。

次に、ペアになって宮沢賢治の『鹿踊りのはじまり』を読むのだが、僕はことばがのどにつまって、はじめは全然出てこなかった。ペアのKさんも、どうしたものかという様子。すると、瀬戸嶋さんが、「足で俺のからだを押してみ」と言う。かなり力を入れないと押せないが、そうすると全然出なかったことばが、とぎれとぎれに出てくる。「そこらが」「まだ」「まるっきり」という様子である。足がつったので手で押すのに切り替えて続ける。「天気のいい日に」「嘉十も出かけていきました」「糧と味噌と」「鍋とをしょって」と、次第に長くなる。そうしているうちに、押さなくてもリズムに乗って読めるようになってくる。実はこれは普段の定例会でも経験していることで、そんなに驚きはしないのだが、やはりおもしろいと思う。声を出すときに、腹から下に重さがかかっていることが大切なのだと思う。

夜は宴会。湖に向けて開けた和室で、お酒を飲む。竹内敏晴で卒論を書いた大学の先輩のKさんが、竹内の代表作『ことばが劈かれるとき』を見せてくれる。付箋やメモがぎっしりで驚く。僕も竹内敏晴で卒論を書くつもりなので、これくらい真面目にやらなくちゃいけないなと思う。

2日目は、2つのグループにわかれ、いよいよ芝居の稽古に入る。『鹿踊りのはじまり』の物語を説明すると、鹿6匹が人間(嘉十)の落とした団子を見つけるが、近くに一緒に落ちている何か生き物のようなものが怖くて団子に近寄れず、したがって食べることができない。まずそれが何かを鹿たちが交互に確かめる。そして、それが手ぬぐいだとわかり喜んで、団子を食べ、そのことを自然の神様に感謝するという話である。まずはナレーターをしたい人を瀬戸嶋さんが呼びかけるが、僕はどもるので、ナレーターをするのはいつも遠慮してしまう。希望者がいてすぐに決まり、たまには挑戦してもいいのかも…と思うが、まあいいか、とも思う。

舞台は大きな和室の部屋で、それを半分は舞台、半分は客席にする。1つのグループが舞台にいるときは、もう1つのグループは客席にいて稽古を見るのだが、別に真面目に見なくてもよくて、たいてい寝転がっており、眠い人は寝ている。「からだとことばのレッスン」を創始した竹内敏晴がよく書いている「したくない自由」は、瀬戸嶋さんも尊重されているようで、したいことをして、したくないことはしなくていい。それはレッスンの内容でもそうである。稽古では、よく瀬戸嶋さんが途中で止めて、アドバイスをし、瀬戸嶋さん自身で演じることもある。瀬戸嶋さんの動きはとてもおもしろく、声をたてて笑ってしまう。

琵琶湖で泳いだことについても書きたい。湖水浴は小学1年以来だったと思う。初日のレッスンの前に泳いだが、水温はぬるかった。奥まで行くと足がつかなくなる。プールにはたまに行くが、プールはどこも足がつく。だから足がつかないのはおそろしく、奥には行かないようにする。水はわりに濁っている。2日目の昼は、川が湖にそそいでいるところに行ったが、川の水はとても冷たくておどろいた。河口はブラックバスがよく釣れるらしく、釣り人がたくさんいる。浜からは、比良山地1000m級の山々が見渡せ、壮観である。

2日目の夕暮れは、皆で琵琶湖畔に行き、「ららららー」と声をだして、セリフを読んだ。波の音(行くまで忘れていたが、琵琶湖も波があるのだ)に負けないように、広大な湖に向かって大きな声が自然と出る。そうしてから稽古場に戻ると、みな声の出方が全然違う。とても大きく、広がりのある声になっている。

その日の夜も宴会。以前から一緒にレッスンを受けている、年上の笑顔の美しい女性Mさんにひざまくらをしてもらっていた。実に幸せな気持ちになる。みなに「男性陣はみな嫉妬してるよ」とか「これは八木くんにしかできないわ」と言われ、少しいい気になる。瀬戸嶋さんが「俺の役割を取られちゃった」と言うので、「どういうことですか?」と聞くと、瀬戸嶋さんも昔はレッスンの後に、女性にひざまくらをしてもらっていたらしい。その点では、師匠の後を継ぐ忠実な弟子になることができている。以前の合宿で知り合ったYさんにもひざまくらをしてもらう。ちなみに、ひざまくらをしてもらうのは、10代以降ではじめてであったように思う。普段は、そうしてもらいたくてもお願いできないのだが、ずいぶんリラックスできたおかげである。その後、野口三千三さんのレッスンの動画を見る。20代後半くらいの瀬戸嶋さんも映っていて、「今と全然違う」「好青年や~」とみんな言うし、僕も思う。でも瀬戸嶋さんは「今と似た部分があっておもしろかった」と言う。瀬戸嶋さんは、「俺は若い頃は人とコミュニケーションが全然取れなかったし、自由に表現することもできなかった」とおっしゃっていて、その瀬戸嶋さんが今、こんなに内のすばらしいものを表現されていることがすごいなと思う。僕は思うのだが、すべての人が、内なるものを自由に表現できる才能を持っていて、その表現はそれぞれに個性があっておもしろいものだ。だが、どうしても常識や自意識にとらわれて、自由な表現ができない。しかし、瀬戸嶋さんのように、そのことに取り組み続けると、自意識の壁を少しずつ乗り越えていくことができる。レッスンでは、どうしても自意識の壁をうまく越えられる人と、うまく越えられない人がでてきてしまうが、後者の人もレッスンに来続けているのがすごいことだと思う。それだけみな、可能性を感じているのだ。

3日目は、午前から昼過ぎまでリハーサルをして、それから本番である。リハーサルまでは、時々ストップが入り瀬戸嶋さんのアドバイスがあるが、もうここまで来ると、かなり物語に入ることができる。疲れがたまっているはずなのだが、いざ舞台に立つととても元気に動くことができる。鹿の役で、ずっとぴょんぴょん飛び跳ねることができる。セリフを言っても、客席の人たちが笑ってくれるようになる。

昼はピラフが出たのだが、3杯も食べてしまった。その後、琵琶湖で泳ぐ。足のつかないところまで行ってみる。おそるおそる進んで行ったが、意外と足がつかなくてもなんとかなるものだった。遊泳区画の一番奥まで行って、戻ってくる。

そして本番。本番は瀬戸嶋さんのストップも入らないし、客席の人たちもわりと真面目に見ている。本番の直前になってはじめて、緊張を感じる。でも心地よい種類の緊張だ。テンションがあがって意味もなくトンビのまねをしたりする。セリフは、決まっているところと、そうでないところとがある。はじめの方は特に決まっていないのだが、自然と言いたくなって言う。今回は前回の合宿とは違い、本番でも、わりとどもりが出る。が、そんなに気にならない。ひたすら、演じることが楽しい時間だった。固定したものはほとんどなく、さっきやったリハーサルともまた違った動きが出てくる。客席の人たちも、よく笑ってくれた。一緒に演じてすごかったのが、NさんとYさんである。ともに、ボディーワークを長く教えられているせいか、からだが物語に深く入り込んでしまっていて、彼女らに僕のからだが動かされる。セリフを言うときも、つい彼女らの顔をみて言う。Nさんは70代前半の女性なのだが、全然年を感じさせない。汗だくになって、本番は終わった。

何かまとめようと思ったが、書くことが思いつかないので、ここで終える。合宿で出会った人たちに感謝する。みなさんの個性が印象に残っている。