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在日朝鮮人の児童・生徒の「本名を呼び名乗る実践」の限界と今後のあり方

 特に関西圏を中心とした学校で、戦後、在日朝鮮人の児童・生徒の本名を呼び、本名を名乗らせることがされてきた。これは「本名を呼び名乗る実践」とよばれている。このレポートでは、第1章において、その限界と、今後の取り組みのあるべき姿について述べた先行研究を整理する。第2章では、この問題を取り上げた動機と私自身の意見を述べる。第3章では、この問題に関連して、知人に聞いた話を紹介する。

 

第1章 「本名を呼び名のる実践」の限界と、今後のあり方についての先行研究

 「本名を呼び名乗る実践」は、これまで肯定的に語られることが多かった。代表的な例を挙げると、大阪で民族学校民族学級の教員を勤めた朴正恵(1942-)は、「朝鮮人が本名(民族名)を名のり、日本人が本名(民族名)で呼ぶ」のが「当たり前」であると述べ、在日コリアンが本名を使うことを強く勧めている。

 しかし、そのように結論づけていいのだろうかと、疑問を呈する人たちが、20世紀末から、特に今世紀において登場している。朴秋香は、在日コリアンと日本人の「混血児」に注目している。「韓国・朝鮮籍の保持者の8割以上が日本国籍保持者と結婚している現在においてなお、日朝『混血』者の問題を扱ったものはほとんど存在しない、もしくは見つけにくい」と、「朝鮮人と日本人」という二項対立の言説が時代遅れであるにもかかわらず、今も幅をきかせていることに疑問を呈している。親の国籍と子どもの国籍が必ずしも一致しないのが現代なのだ。そのため、「本名を呼び名のる実践」ではなく、「民族名を呼び名のる実践」がされるようになっている。だが、それより大切なのは、「名前をめぐる自己決定権を守りそだてる」ことだと、朴秋香は1999年の全朝教における、日本国籍在日コリアン安田直人の発言から述べ、本名、あるいは民族名を名のることが目的化している現状に警鐘を鳴らしている。

 朴秋香のこれらの意見に影響を受けて、藪田直子は関西地域のP市において、朝鮮半島だけでなく、20世紀末から増えてきた中国とベトナムにルーツのある子どもたちに注目した調査をしている。在日韓国・朝鮮人の児童生徒で通名を使う人は多いが、これは「日本の学校同調圧力による問題なのか。あるいは個人の選択として扱うべきだろうか」と疑問を立て、それを解くために在日コリアンを、他の在日外国人(ここでは在日中国人と、特に在日ベトナム人)の視点を加えて論考している。藪田はP市のZ中学の教師11名にインタビューをした。現状としてZ中学では、外国にルーツをもつ生徒のうち、約6割が日本風の名前を、約4割がエスニックな名乗りを学校で用いている。ベテランの先生には、「本名を呼び名のる実践」の影響を受けた人たちもいて、通名を用いる生徒たちを目の当たりにして「ショックな部分もあった」と述べているが、しかし実際に本名を名のるように強く勧めることはしていない。その背景として藪田は、これまでの在日コリアンの生徒を対象にした「本名を呼び名のる実践」では、「本名を名乗る」というゴールがあったが、中国系やベトナム系など外国系の生徒が多様化した現在、決まったゴールがなくなっていることをあげている。というのも、在日コリアンは本名か通名かの選択を「重いもの」としてとらえたが、ベトナム系の生徒は「あっさりとしたもの」ととらえている。もともと、ベトナムではあだ名や幼名を日常的に使う伝統がある。そういった多様な状況下で、Z中学で大切にされているのは、生徒が本名を使うかどうかではなく、教師が本名を使える雰囲気を作ることである。「名前をめぐる自己決定権」がここでは尊重されている。

 

第2章 在日コリアンの本名・通名の問題に興味を持ったきっかけ

 私自身も、藪田が示したようなZ中学のあり方が、今の在日コリアン自体が国籍やルーツの点で多様化し、また朝鮮半島以外にルーツを持つ外国人が増えていく社会においては望ましいと考えている。さて、この問題を取り上げた動機は、卒業論文執筆の関係で、南葛飾高校という東京都葛飾区にある学校についての本を読んだことだった。その学校は、被差別部落出身の生徒や在日朝鮮人の生徒が多く通った。そこにIという在日朝鮮人で、通名を使っている女子生徒のことが、その担任教師によって語られる。Iはクラスメイトに自身が在日朝鮮人であることを隠していたが、両親ともに日本人である担任は、Iに本名を名乗るように何度も勧める。南葛飾高校は、朝鮮文化研究会もあり、朝鮮語の授業も全学生を対象にされていて、比較的理解のある環境だったが、Iは本名を名乗ることを拒む。担任はIとの10ヶ月の付き合いを経て、「このクラスでIのことを支えていくことはできる」と思い、Iの同意なしに「今までHRで朝鮮問題の討論を続けてきたのには意味がある。このクラスのHさんは本名をIといいます」と、在日朝鮮人であることを明らかにする。Iは「叫び声をあげて教室をとび出した」。担任は「このまま去らせたら取り返しのつなかいことに」なるので、他2名の生徒と追いかけ、校門のところで2時間かけて説得し、教室に連れ戻した。Iはこれをきっかけに「以前の彼女よりずっと明るくなったように私には思えた」と担任は語る。

 この担任がしたことは果たして正しかったのかが私にはわからない。担任が状況から判断して大丈夫だと思いしたことで、結果的にも大丈夫だった。が、Iは「叫び声をあげて教室を飛び出した」くらいの衝撃を受けており、本当にギリギリのところで踏みとどまったにすぎず、一歩間違えていたら不登校になり、多くのことが台無しになっていたのではないか、それまでのリスクを負って本名を、つまりは在日朝鮮人であることを明かすべきなのかと疑問に思っている。しかし一方で、強引な手段ではあるが、みなに在日朝鮮人であると知られてしまえば、もう開き直ることができるというのもわかる。Iはこのケースだろう。

 この場面が印象に残ったのは、それが私自身の吃音のことを思い出させたからだった。吃音は在日コリアンとは違い、カミングアウトしなくてもある程度はわかる。しかし、話さないという手段によって隠そうと思えばある程度隠せてしまうし、これは在日コリアンにおいてもそうだろうが、周囲にばれていても、その話題をタブーにしてしまうことがある。私は小学生のときからすでに吃音があったが、小学校は吃音を明かすことができる雰囲気だった。しかし、その後に進学した私立の中高一貫校では、吃音を恥ずかしいことと思い、できるだけ人前で話さないようにし、周囲の人に対しても吃音の話題はタブーにしていた。もし、そんななかで、中学か高校の先生に、「吃音という言語障害がある」などとクラスメイトに向かって言われたら、私は学校に行くことができなくなったかもしれない。だが一方で、強引にばらされることで、もう吃音を知られているのだからと、どもることをあまりおそれずに、人とかかわれるようになったかもしれない。ちょうどIのように。それはギリギリのところであり、当事者の私自身にもわからない。Iの担任は、Iに本名を名乗るように勧めるなかで、担任自身のことを話しながら、「他人に言えない隠しごとがあると他人と本当の付き合いはできないこと、思いっきり笑うこともできないこと、自分を大切にしない人間になってしまうこと」を話した。それは私にもよくわかる。私が吃音を受けいれることをはじめたのは高校3年からであり、大学に入ってはじめて周囲に明かした。そして今も人と話すときにどもることを受けいれる過程にあると感じる。それは自主的な選択によってなされた。Iが担任にされたように、強引に他人によってされたことはない。しかし、そのために、高校2年までは自身の吃音を否定し続けることとなった。Iにとって、私にとって、どちらがよかったのか言い切ることはできない。

 が、少なくとも私の感覚では、個人のマイノリティ性を明かすかどうかは、当事者の自主決定が何より優先されるべきだと思う。在日コリアンが本名を名のらないのは、日本社会による差別に当人が打ち勝っていないからだという言説が、今まで力を持っていた。もちろんそういう面もあるだろうが、そう言い切ることは、当人の選択の存在を無視することになる。そして、そういう言説が、在日コリアンでそれを明らかにしている人たちや、その支援者たちからなされてきたことも重要である。同じように、吃音を明らかにしている人たちが吃音を隠している人たちに、「吃音を明らかにせよ、正々堂々とどもれ」などと、言うことがある。私自身はどもることを気にしていたら話せないくらいの吃音なので、吃音を周囲に明らかにしているが、隠せる人が隠す気持ちもわかるし、私自身あまりどもらない時もあって、そういうときはいちいち吃音を明かしたりしない。マイノリティ性を明かすことは差別の可能性に向き合うことであり、その行動自体は評価されていいと思うが、それができない、あるいは選択としてしない当事者に、押しつけてはいけないと思うのである。

 

第3章 在日コリアンの美容師と朝鮮文化研究会の先生の話

 在日朝鮮人にかんするレポートを書くに際して、知人に話を聞いた。最後に、そのことをまとめたい。一人は、大阪府東部で美容室を営む男性、Sさんである。Sさんは京都府南部の生まれで、両親ともに在日朝鮮人である。両親は通名を使っており、Sさんもそれを当然として育ってきた。京都府南部には20歳頃まで住み、その後美容師になって東京でひとり暮らしをしたときも、通名を名乗っていた。が、神戸の三宮に移り住んだとき、周囲に外国人や外国系の人が多く、在日コリアンも本名を名乗っているのを見て、36歳にして本名を名乗り、在日コリアンであることを明かすことにする。三宮では店長として美容室をひらいていたが、差別を受けることは仕事上でも日常生活でもほぼ全くなかったという。しかし、家の都合で現在の大阪東部に移り住んだとき、そこでも美容室をひらいて本名を名乗り、在日コリアンであることを積極的に明かしたところ、嫌がるお客が年配の方を中心に多く、方針を変え、本名を名乗りつつも在日コリアンであることはあまり明かさないようにして、現在に至っている。この話を聞いて、地域によって差別されるかどうかが大きく異なるということに驚いた。Z中学は、本名を使える雰囲気であり、かつ本名を使うか通名を使うかどうかは当人に任されているが、三宮もそうだったのだろう。日本の各都市も、三宮のようになればいいと思う。三宮は歴史的に外国人が多いということがそうさせているのだろうが、外国人が増えている日本の各都市も、将来的には差別は減っていくのだと思う。Sさんは2015年にはじめて韓国を旅行し、韓国語ができないことなどから、自分は韓国人ではないと改めて認識し、本名のまま帰化することを考えているという。国籍は日本を選びつつも、親から受け継いだ本名は使うという、従来の枠にとらわれない新たな姿勢がここにも見える。

 また、池田市立池田中学で朝鮮文化研究会の顧問をしていた日本人の先生にも話を聞いた。そこには朝鮮半島にルーツのある生徒だけでなく、特にそれがない日本人の生徒もメンバーになっていた。活動も、朝鮮の太鼓チャンゴをたたくなど朝鮮の文化を学ぶだけでなく、茶道など日本文化も学んでいた。それは、朝鮮半島にルーツのある生徒が、日本人に「朝鮮に帰れ」などと言われたときに、「俺は日本が好きで、日本の伝統文化も勉強してる。お前はどうなんや?」と言い返せるようにと考えてのことだという。朝鮮文化研究会のようなことを日本人の先生がすると、在日コリアンの社会から反発が大きく、活動に理解のある在日コリアンの人たちにも協力を募っていたという。

 

参考文献

 

書籍

朴正恵『この子らに民族の心を----大阪の学校文化と民族学級』(新刊社 2008)

林竹二編『授業による救い 南葛飾高校で起こったこと』(怪書房 1993

 

論文

「在日朝鮮人の「混血」/「ダブル」の考察」(琉球大学法文学部研究報告書『多文化教育における「日本人性」の実証的研究』、2007

「在日外国人教育の課題と可能性――『本名を呼び名のる実践』の応用をめぐって」(『教育社会学研究』92集、2013