『モアナと伝説の海』は日本建国神話で主人公モアナは天皇だった

映画『モアナと伝説の海』を見た。モアナは太平洋の小さな島の長だ。先祖は別のところからその島にやってきたのだが、島の人たちはそこから出ることを禁忌としている。しかし、危機に瀕した世界を救うために、モアナは神を求めて旅に出る。

この設定は天皇そのものだろう。ニニギノミコトは外界から九州に降臨し、神武は九州から大和に攻め入って定住し、天皇として即位した。思想家の千坂恭二によれば、天皇を戴く日本の国体はその本質に世界革命を志す。それを根拠に、アジア解放や八紘一宇が唱えられ、大東亜戦争が戦われた(『思想としてのファシズム大東亜戦争」と1968』「世界革命としての八紘一宇」)。

日本は大東亜戦争の敗戦で世界を救うことを諦めてしまった。『モアナ』のような世界を救う作品を、世界を救うことを志すアメリカは作れても、日本は作れなくなった。が、何十年後、何百年後かはわからないが、必ず世界の危機が訪れる。その時、メシアたる天皇を戴く日本は、他のどの国と比べても遜色なく、世界を救うために働くだろう。

大東亜戦争でも日本は、人種間の平等と民族自決という西洋の論理と天皇の元での世界平和という日本の論理を用いて、世界の救済を掲げたが、内実が独善的にすぎた。理念を掲げたのも、あまりにも後付けだったし、ほとんどの日本人に共有されてすらいなかった。理念を抱いたまま国ごと滅ぶという選択肢も議論されたが、選んだのは理念を捨てて降伏することだった。

私は降伏してよかったと思う。大東亜戦争はまだその理念を用いるべき時ではなかった。降伏したおかげで、日本は存続した。その日本を、世界の本当の危機の時に用いなくてはいけない。

いつ危機が訪れるかはわからないが、一番可能性が高いのは国民国家の崩壊だろう。350年の歴史を持つ国民国家体制はあと何百年後に崩れるだろうが、日本は国民国家など超越した神話的存在である。日本は天皇を中心にした世界統一を目指して動くだろう。その時に、現体制を一段越えた、世界平和が訪れる。一神教的にいえば、神の国が訪れる。私たちはそれを目にすることはできないが、神国日本を次世代に渡すという崇高な使命がある。

などという、かなりヤバいことを映画を見ながら考えて、勝手に盛り上がっていた。映画についてもっと普通の読み方をすれば、ディズニーの前々作『アナと雪の女王』や前作『ズートピア』が、男女平等など個が尊重される現代社会の未来を志したものであったのに対し、今作は神話という過去に戻ったものであった。過去だから封建的な面もあるのだが、しかし母系制のムラ社会がそうであったように、男女差別がそもそも存在しなかったりする。西洋近代が発展させている人権はあえて描かず、私たちがいま抱く世界観とは大きく異なった世界があったことを提示し、相対化させている。そのようにして、私たちの近代的な差別意識も相対化されている。