「死にたい」がふっと生まれすぐに消える

ぼくはすぐに「死にたい」と言う。本気で死にたいわけじゃなくて、むしろ近頃はだいたい毎日楽しいのだが、それでもふと、何もやる気しないな〜というときや、将来不安だな〜考えるのめんどくさいな〜などと思ったときに、「死にたい」と口に出る。口に出てから、「あっ、また言ってしもた」と思うが、自然にすぐ忘れる。「死にたい」は、一瞬だけ発生するもので、言う前にも言う後にもない。夜空に突然小さな花火が光ったような感じだ。

また、過去の恥ずかしいことに対するフラッシュバックがずっとあって、その時も「死にたい」と口に出る。「過去の恥ずかしいこと」は、客観的に見るとしょーもないことなのだけれど、思い出したときのダメージがすごく大きい。道を歩いているときや、お風呂場でシャワーをしているときなどに、パッと花火のように思い出され、「死にたい」と早口で口に出る。外にいるときは、人に聞かれるとまずいとわかっているからか、そんなに大きな声にはならず、ひそひそ声のような大きさで口に出る。でも時々、ちょっと大きくなってしまうことがあって、その時は、近くの人に聞こえたかな…とちょっと焦る。

死にたいと口に出て、そうか、ぼく死にたいんか〜と気づく。死にたいという気持ちはあるけれど、同時に死ぬのが怖いとか、生きてたらもっとおもろいことができるという気持ちがあり、そちらの方が大きいことと、たぶんこれが重要なのだが、死にたいと思ってしまうこと自体が怖い(そう思うことは死に近づくことだから)という気持ちがあって、死にたい気持ちは普段抑圧されているから、無防備なときにパッと出てくるのだと思う。それが、今のつらいことや不安と結びつくのはわかるけれど、過去の恥ずかしいことと結びついているのが不思議で、調べようと思っている。一つには、「存在の危機」ということがあるように思う。「存在の危機」はぼくが最近よく使う言葉で、人間の行動や思考の根源の一つというイメージだ。しかし、これ以上うまく説明できない。

上に述べたような「死にたい」は一瞬で生まれ消えるもので、この文章を書いている今は、死にたいという気持ちは上とは別種類の、いつもある分しかない。死にたい気持ちを推測しても、死んだら全て終わりで楽くらいしか思いつかない。でも、それが大きいようにも感じられる。

ここまで書いて、自分の死にたい気持ちを認めてあげたいなと思った。書けて少し楽になった。