中学高校はどもる恐怖に耐える日々だった

 もうずいぶん経ってしまったが、覚えているうちに書き留めておく。私立の中高一貫男子校に通っていたころのこと。一般に中間試験や期末試験というと嫌なものだろうが、ぼくはそれが待ち遠しくてならなかった。通常授業があるときは、毎日何度もカレンダーを見て、「試験期間まであと何日」と数えていた。「あと何日耐えたら試験期間」とも言っていた。

 授業は恐怖に耐える時間だった。クラスメイトの前でどもる恐怖にである。学問的な楽しさはあったが、それを味わうことができるのは「今日は当てられないだろう」と思えた時間だけであった。高2くらいになると、以前よりどもるようになったためか、あえてぼくには当てない先生もいたが、それはそれで「自分は他のクラスメイトとは違う。彼らはぼくのことをどう思っているのだろう。自分は彼らより劣った存在なのだ」と思われ、授業中そのことばかりが気になった。

 先生に相談することを何度も考えたが、できなかった。吃音で悩んでいるということを知られるのがみじめに思えた。生徒相談室というものもあり、カウンセラーの先生が週に何日かいたのだが、その部屋に常駐しているわけではなく、中学の職員室に行って誰か先生をつかまえ、カウンセリングを受けたいことを伝えてからしか利用できなかった。つまり、先生たちにぼくがなにかで悩んでいると伝わる仕組みである。何度も前まで行ったが、そこに入るのもあきらめざるを得なかった。

 吃音で悩んでいることは友人には一切話さなかった。もっとも仲がよかった友人がそれを察しないために冷たくあたったりもした(当然💢)。その友人に、大学に入ったころに電話で泣きながらいかに深く悩んでいたかを話した。当時のぼくと彼との親しさからいって、彼はなんらかの働きかけをぼくに対してしてくれてもよかったのだが、人の心がわかない男だから仕方がない。おもしろい男なのだがそれだけは何とかするべきで、また彼自身そこに苦しんでおり、何とかしてあげたいがどうしたらいいのかわからない。数少なかった友人のほとんどは、ぼくが悩んでいることに同情しつつ、それを表に出さずに付き合ってくれた。何人かは今でも付き合いがあり、変わらずいい友人である。

 「あと何日耐えたら」を繰り返しても、いつかは高校を卒業し大学に入る。このまま、向き合うべき課題から逃げ続けて大学に入って大丈夫なのだろうかと不安であったが、しかしやはり大学に入るのは希望であった。このままこの環境、生ぬるい地獄に居続けることは耐えがたかったが、新たな環境で壁にぶつかるであろうことに、希望の予感があった。予感は的中し、大学に入ってもがき苦しむことになるが、しかしその結果、視界は開けた。もがき苦しむといっても、なにか行動をしたわけではなく、周囲の学生がなにかやりたいことをするなか、ずっと耐え忍んでいた自分にはそれがわからず、人とコミュニケーションも取れず、家に半分引きこもっていたことを指す。村上春樹の同じ作品を10回以上読んで、読みつつ涙を流したり、ここはという部分に深く共感したりしていた。夕刻に部屋の壁にもたれて座っていて、突然激しい孤独感がおそうことがあり、そのときは心臓のあたりが締め付けられるように痛んだ。

 私立の男子校ではなく、公立の共学校に行っていればと何度も思ったし、今も時々思うが、しかし中高で経験したことは、楽しかったこともつらかったことも共に等しく大切な記憶である。近代を体現するものは、監獄・学校・軍隊・病院・工場だと言われるが*1、学校のおそろしさを骨の髄まで味わったということは、近代ーー我々が向き合わねばならぬものだーーのおそろしさを身に知ったということである。

 晴れて今は自由の身である。自由とは何とすばらしいものだろう!

*1:フーコーという偉い学者が言っているらしい