台湾ボランティア記・第1週

台湾は台南の郊外で、知的障害者の施設に2018年の12月から1月にかけての一ヶ月間滞在した。その日々を「台湾日誌」と名づけて随時Facebookに載せていたのだが、ここにも載せることとする。ほとんど毎日付けていたので長いです。まず第1週目です。

12月4日(火) 台湾一日目
 朝6:36の目覚ましで起きて、昨夜の鍋の残りを食べ、家を出発した。ジャンパーを着ていくつもりだったが、大阪の最高気温が20℃にもなる日だったので、家を出る直前に玄関に放り出してきた。高雄や台南は30℃なので、着いて鞄の中にジャンパーを見るのは、文字通り「見るのも嫌」だろうと思ってのことだ。しかし1月末という一年で一番寒いときに台北や馬祖、福州に行くつもりなので、やはりジャンパーは持ってくるべきであったかもしれない。こちらで買うこともできるが、お金がもったいない。安いのを見つけよう。
 ずっと、現実感がない。朝起きたときからずっと。今日自分が台湾に行くなんてことは信じられなかったし、これを書いている今も台湾にいることが信じられない。信じられなかったけど、乗り慣れたJRに乗って、何度も繰り返した出国手続きをし、座り慣れたピーチの狭い座席にいて、高雄空港から地下鉄と鉄道に乗るという、目の前のひとつひとつの作業をしていたら、本当はとても遠いはずの台湾にすぐに着いてしまった。
 昨日までは世界がリアルだったのに、今は映画を見ているみたいだ。
村上春樹の『ダンス・ダンス・ダンス』に、「ぼく」とキキ(「ぼく」の恋人だ)が飛行機で北海道に行ったら、早く着きすぎて(羽田−千歳は一時間だ)気持ちが追いつかず、映画館で時間をムダにするために見たくもない映画を見つづけるというシーンがあった。鉄道ならしっかり時間がかかっていいけれど、「いまはまだ心が福島あたりまでしか来ていない」とか「そろそろ青森」だとか言っていたような気がする。それがすごくよくわかる。ぼくも本当は大阪−台湾はフェリーで移動したいのだが、悲しいことにその便はない。フェリーで3泊くらいかけたら、体と心が一緒に来ることができるのだが…ぼくの心はまだ屋久島あたりである。奄美と沖縄と八重山を経てやっと台湾に来るのだ。
 さて、台湾の障害者施設では思いの外に歓待された。台湾人はやはり優しいし、クリスチャンはホスピタリティが厚い。来る直前はコミュニケーションができるか不安でならなかったが、来てみるとなんとかなりそうに思えてきた。
 なぜ退屈かというと今夜はインターネットがないからで、ネットがないのは泊まっているところにWi-Fiがないからだ。Wi-Fiはあると思って空港でSIMを契約しなかったが、明日携帯会社に行って契約することにした。ネットがないと日本と連絡が取れないので困る。本当はネットなんて邪悪なものはない方がいいのだ。便利さに気を取られ時間も取られる。そういうわけでひょんなことから、何年かぶりのインターネットなしnightである。落ちついて過ごせるかと思ったら、パソコンを開いてこんな文章を打っている。しかしネットがあるよりはやはり落ちついているように思える。

12/5(水) 2日目
 日本を発つ前から少し風邪っぽかったが、やはりいささか風邪っぽい。今日は早めに休むことにする。施設の人々は優しい人たちである。わたしはボランティアというよりは、食客という感じだ。利用者がひとり増えたようなものである。静岡のかなの家でもそうだった。慣れてきたらもう少し手伝おう。
 子ども(幼稚園よりも小さい人たち)のところか大人(18歳より上という印象)のところかどちらで過ごしたいか聞かれ、少し見学して大人にしたが、やはりそれでよかった。人に話しかけるよりも話しかけてもらえるほうが好きだからです。
 1970年代の小学校一・二年生用の国語の教科書を図書室で見つけた。文章が美しくて感動した。日本の小学校の一二年用の国語の教科書も、きっと美しい文章だろうと思った。すっかり忘れているので、帰ったら探して読みたい。竹内敏晴という大正14年生まれの演出家が、小学校の教科書が、自分の時代は白黒だったのがひとつかふたつ下の弟の代で改訂されて、色付きで「サイタ サイタ サクラ ガ サイタ」と桜が一面に広がる絵になっていて、「なんであと少し遅く生まれなかったんだろう」と泣けてきたという話をしていたが、すごくよくわかる。小学校の最初のころの教科書はそれくらい心にまっすぐに入ってきた。教科書って、子どもに伝えたいことを、多くの大人たちが力を合わせて考えたのだから、愛がいっぱいつまっていると思う。国民国家はクソやなって思うことよくあるし、文科省の検定済みの教科書(戦前は国定教科書)なわけで国民国家に都合のいい人物として子どもを「教育」するという面があるから、例えば七〇年代の中華民国台湾の教科書でも国旗に敬礼していたりするわけだけれど、でもやっぱり愛を感じる。間違った愛もあったと思うけれど、書いた人たちの真剣な気持ちが伝わってくる。今日は暇な時間はこの教科書を読んで感動していたのだった。
夜市に行こうかと思ったが疲れたからやめた。

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国語の教科書



3日目 12/6(木)
 昨晩の話から。なかなか眠れず、しかし神経は高ぶって、1時前くらいまで日本語のインターネットサーフィンをした。台湾では中国語や台湾についての勉強をしたいのだが。なぜそうなったというと、昼にもらったお茶をぜんぶ飲んだからだとわかった。600mlくらいのタピオカティーを施設の人がくれて飲んだのだが、わたしはカフェインはダメなのだ。むろんわかっていたが断れなかった。これからは飲まないようにしよう。
 今朝はしかし気持ちよく起きた。晴れていたら多少寝不足でも大丈夫である。気温が最高気温30℃くらいなのだが、わたしはこのくらいの気温が合っているように思える。逆に日本の冬はいつもけっこうきつい。
 一日でわりと慣れたように思える。知的障害の人たちは気軽に話しかけてくれて、楽である。朝は新年のカードを作った。流れ作業で同じものを大量生産であるが。
 昼ご飯の後はいつも昼寝があるようで、わたしはその習慣はないが、寝不足だったからみなと一緒に寝た。机の上に突っ伏して寝る。台湾は小中高でも昼寝の習慣があるらしいが、やはり机に突っ伏して寝ているようだ(最近出た岩波ジュニアの本『台湾の若者を知りたい』に書いてあった)。一眠りするとスッキリした。昼寝の習慣はわたしも取り入れるといいかもしれない。
 3時すぎにプログラムが終わり、後は自由なので、市立の図書館に行った。市立というのは台南市立のことだが、ここ玉井というのは人口1万4千人の小さな町であるから、図書館も一階だけのシンプルなものである。しかし、映像作品がたくさん置いてあって、これを泊まっている家のテレビで見るといい勉強になりそうだ。基本的に夜は暇だから、借りて見たいのだが、日本のパスポートがあるだけで借りられないので、別の日に施設の人にカードを借りるなどしようと思う。
 一緒の家に19歳のドイツ人がいる。彼は今年2月からで、1年間いるらしい。明日からは休みなので、利用者の知的障害の人たちは家に帰っているらしい。障害者の人たちと、ぼくら外国の食客の世話をしてくれるおじいさんがいて、その人と三人である。夕食はいつも施設の人が作ってくれるようだが、今日はないので、外で食べるかなと思っていたら、おじいさんがドイツ人に何か作ってやと無茶振りし、ドイツ人は無茶振りや〜という表情をしつつもわかったと言い、大量のチーズと玉ねぎを炒めた何かを作った。おじいさんはスープと、肉とパプリカの炒め物で、ぼくは野菜を切ったりした。ぼくも料理ができたらいいのにと思う。25歳にもなってろくに作れないというのはなんともつまらない。
 図書館のおもしろそうな映画などを見て、映像を見たくなり、テレビを付けたらドラえもん(多拉A夢)とクレヨンしんちゃん(蠟筆小新)がやっていた。ドラえもんは「もしもボックス(假如電話亭)」の回で、のび太(大雄daxiong)がアメリカに引っ越すという「もしも電話」をかけたら、直後にボックスが壊れてしまい、本当に引っ越す直前までいくという話だった。静香ちゃん(jingxiang)が本気で泣いてるのにうるっと来てしまった。くれシンは2001年ごろの、おもしろい時期のだった。愛ちゃんが出てくる時代だ。
 現在9時で、おじいさんに疲れているだろうからテレビを消して休むように言われた。しかし9時は早くないかと思う。このおじいさんは日本語もけっこうできる。夕方に会ったときは「こんや…料理、ない」と簡素な言葉で、施設の厨房で作る食事が運ばれないことを教えてくれた。「料理、ない」は使いたい日本語だと思った。台湾人はかなり多くの人が簡単な日本語はできる。さきほど行った玉井区の図書館にも、日本の漫画がずらりと置いてあったし、小説も日本のがかなりある。知的障害の人の中にも日本語を勉強していて、日本語能力検定試験4級に何年か前に受かったという人がいた。
 いまテレビを見ていたら、ベトナム語ニュースの時間とインドネシア語ニュースの時間があった。図書館にも東南アジア諸語の本のコーナーがあった。台湾は介護の労働者として東南アジア諸国から多くの女性労働者と移民を受けいれているのだ。2016年現在で移民は14万人、労働者は68万人をこえたらしい。日本も来年から外国人労働者を多く受けいれるようだが、台湾は先を行っているのである。

4日目 12/7(金)
 社員旅行のようなものに混ぜてもらって台東へ。車で4時間もかかってびっくりである。高速道路は屏東県(高雄の東の県)までしかないようで、そこからの山越えはくねくねした道だった。
 東海岸に出て海があったが、みなが泳いでなかったので泳がなかったことを、後になって悔いた。泳ぐべきだったが、波が高かったこともあって躊躇した。仲がいい友人であるFはどこの海でも泳ぐと言って、誰も泳いでいないところでも空気読まずに泳ぎ出すのだが、彼は立派だと改めて思った。夏に東北で震災のボランティアをしたとき、漁港でFと一緒に泳いだのがすごくいい思い出になっている。ぼくはなんでも躊躇して機を逸してしまうから、彼のように素早くやりたいことができるようになりたいものだと思う。
子ども食堂兼勉強を教える場所のようなことをしているところの話を聞いて、台東夜市に行った。台東の夜市ではクリスチャンがもうすぐクリスマスですねのパフォーマンスで踊ったり歌ったりしていて、感動した。今後台湾社会に入り込むにあたって、キリスト教のコミュニティはぜひ活用させていただこうと思う(德蘭中心もキリスト教なのですでに活用させていただいている)。キリスト教は「外の人」にもウェルカムだ。日本のカトリック教会もベトナム人が多くいるらしい。それでこそ宗教だと思う。
 夜市では施設の若者が射的を7発7中あてて、好きなの選んでいいと言われたので、クレヨンしんちゃんのぬいぐるみにした。兵役があるからうまいのかと聞くと、12歳から親父とBB弾で練習してたと言われた。「ハワイで親父に…」(by工藤新一)を思いだした。
 ホテルに温泉があったがお湯が汚くて、上がったら目が赤く腫れていた。
疲れたから今日は短めに終える。

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台東県南部の海

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台東の夜市 クリスチャンたち


5日目 12/8(土) 副題:親切にされるとすぐ好きになります
 朝7時に起きて、朝食を食べて8時にバスで出発する。池上のあたりで自転車に乗るが、風が強くて河原の砂塵が空を舞っていた。このあたりはちょうど去年も自転車で友人Fと来たところでなつかしい。昼ご飯の後、自然公園へ。
 移動はすべてバスだが、バスの中では本が読めず暇なので、昨日からYouTube夏川りみの歌を聴いている。通信制限なしなのでネットし放題である。台湾の風景を見ると沖縄を思い出す。台湾も差別されてきた地域だが、90年代から台湾人は自治を獲得した。沖縄はかつては独立があったが、いまは日本の国内植民地のような状態である。沖縄と台湾は自然も文化も似ているし、距離も近い。近年、沖縄と台湾の間の交流はどんどん盛んになっている。国境線という強力な力での断絶を乗り越えようとしている。そのことを思うと感動する。夏川りみは、雨夜花という台湾の歌を歌ったり、テレサテンの中国語の歌を日本語で歌ったり、与那国と宜蘭の間の見えない国境線を飛び越えて活動している。中国語で夏川里美と検索するとたくさん動画が出てくる。台湾人のファンも多いようである。そういえば3年前に台南にいたとき、台南で夏川りみのコンサートがあって聞きに行ったのであった。沖縄がいつの日か、いまの台湾のように自治や独立を獲得できるように願う。日本人としてその責任を感じる。
 夏川りみをずっと聴いていると、Youtubeの「あなたへのおすすめ」欄でメリッサ・クニヨシという日系(沖縄系)ブラジル人の歌手を見つけた。まだ子どもである。「瀬戸の花嫁」や一青窈の「ハナミズキ」、「涙そうそう」などを歌っていた。広島も移民を多く出した地域だし(by神戸の移住ミュージアム)、一青窈は台湾系日本人だ。中島みゆきの「糸」も歌っていた。日本(沖縄)という縦の糸と、ブラジルという横の糸が組み合わさって彼女がいるのだと思うと、泣けてくる感じがした。
 夕方に台東の糖廠跡に行った。日本時代からの歴史がある。第二次大戦の防空壕跡や記念館やらがあるが、戦前に台湾の原住民研究をした日本の学者の本が置いてあった。ほしいが、日本円で3000円する。買おうか迷っているうちに、バスの時間が来てしまい諦めた。買えばよかったかなとも思うが、そういうときにとっさの判断ができないのだ。綾屋さつきさんが『発達障害当事者研究』で発達障害というのは「(意味の)まとめあげに時間がかかる」ということなのではと書いていたが、発達特性をいくらか感じる身としては、よくわかるのである。昨日の海に入るかどうかについてもそうである。昨日の海については、当事者研究の仲間が詳しいコメントをくれているので、読まれたし。
 その後、旧台東駅のあたりを1時間半くらいぶらつくことになった。それならもう少し糖廠跡にいさせてほしいところだが仕方がない。施設で働いている、同い年くらいの女性と2度すれ違い、どちらからともなく会釈する。いや、会釈というのは日本的な表現で、実際はほほえみかけると言った方が正確である。すみません、そういう西洋的なことをたまにします。障害者施設というのはそういうものなのかしらないが、そこで働いている女性は30代半ばより上くらいがほとんどで、20代なのはごく少数である。その人は今回の旅行ではじめて知り、同い年くらいで気になっていたのだが、同じ家に泊まっていていまホテルの同部屋のベッドにいる19歳のドイツ人と親しげに話していたから、内心ふんと思っていたのだ。しかし、その女性と3回目に会ったとき、話しかけてくれた。それが、かなり親しく話してくれたので、ふつうに一瞬で好きになってしまった。親切にされるとすぐ好きになっちゃうんだよな(サークルクラッシュ同好会の人も同じようなことを言っていた気がする)。
 夕食のあと、みながバスでホテルに行くなか、ぼくはレストランに残って、台東で一年前にAirbnbで泊めてもらった人と待ち合わせた。台湾的ぜんざい屋に行き、湯圓(つまり台湾的ぜんざい)をごちそうになる。キリスト教の話など聞く。明日、教会があるらしいが、ぼくはいまの施設の人と一緒に行動するから行けない。しかし来月、日本に帰る前に寄ろうと思う。台東糖廠跡の本も、その時までにどのくらいレアな本かを調べて、必要があれば買うことにする。ちなみに、夕食のあと知人に会いたいと言うと、快くオッケーしてくれた。台湾人はこういうところ自由ですばらしい。やたらと心配してきたりもしない。
 体が冷えたので、昨夜入っていまいちだったホテルの温泉に、また入ることにする。明石家さんまだか所ジョージだか忘れたがそういう感じの人が、「オレはまぐろが好きなんだけど、うまいまぐろしか食べないってわけじゃないんだよ。本当に好きだからまずいまぐろでも食べるの」と言っていたのが、風呂についてはよくわかるくらい、ぼくは風呂ずきである。旅行先はホテルの部屋の狭い風呂ではなく、銭湯を探して入るし、家でも毎日お湯につかる。お風呂へのこだわりはあるのだが、しかし多少汚くても入れないよりは入れる方がいいのである(お湯やっぱ濁っていた…)。
 夜は当事者研究仲間とチャットしたり、トランプをしたりした。同い年くらいの人たちと話したりするのは楽しい。京大にいたこともあって、中国人にせよ台湾人にせよエリートばかりと付きあう機会があったが、やはりぼくにエリートは合わない。英語があまりできない人もいて、英語できないのかわいいなとか思う(なんかそれって植民地主義的やな。でもぼくもあまりできないからいいか)。
 12月8日といえば先の大戦の開戦の日である。ちょうど一年前のこの日に、台湾に来たのであった。特にそこに意味はない。
 日誌はオチがないことも書けて楽だな。しかし読む方はたいへんじゃないかしらん。

6日目 12/9(日)
 昨夜は眠いのに「台湾日誌」を書いたので、いささか寝不足である。しかし9時出発なので助かった。朝は海が見える「風景区」に行き、昼食である。バスを降りて気づいたが、台東旅行1日目に泳ぎたくて泳げなかった砂浜のあるレストランである。食後に隣の人に何時に出発か聞くと、あと10分という。しかし10分あれば全身海の水に浸すことくらいはできると思い、バスに水着を取りに行こうと思ったが、運転手さんがどこかに行っていて入り口が閉まっていたので、断念せざるを得なかった。せめてもの思いで、足だけ浸かりに入った。台東は3回目だが、3回ともすべて波が高いので、そういう地域なのだろう。時折大きめの波が来る。危険といえば少し危険だが、気をつければ大丈夫にも思える。天命なのか愚かなだけかわからないと思いつつ、その後も6時間くらい後悔しつづけた。バスを降りて、泳げるところと気づいたときに、戻って水着を取ればよかったとか、早く出発時間を聞いていれば早めに食べ終えて泳げたのに、とか何度も考えてしまう。『発達障害当事者研究』の言を借りると、「意味のまとめあげがゆっくり」なので、急に何かの選択をせまられてそれを適切にこなすのは苦手なのだと思う。大学受験とかは得意だったわけだが、あれは瞬時の選択を大量にこなしていくものの、かなりの程度パターン化されているので、パターンを覚えてしまえば大丈夫なのだ。どの状況でなら海に入るかは、経験値が圧倒的に不足しておりパターンなど何も知らないので、固まってしまった。と、発達障害的解釈をしてみる(自分にどのくらい発達特性があるかもよくわからないし、かなりテキトー)。
 バスの中では昨日に引き続き、沖縄系ブラジル人メリッサ・クニヨシの歌を聴いていた。メリッサは8歳のときにブラジルのテレビ番組に出て、有名になったようだが、その時のは本当に神がかっている。子どもは神さまに近いというが、彼女の当時の第一言語ポルトガル語で、おそらく意味がわかっていない日本語の歌詞を歌っているのに、心に響く。言霊が形を成したようである。能楽師の安田登が『神話する身体』で、能は演者が意味わかってなくても、形をなぞれば意味が勝手に立ち上がってくるみたいなことを書いていたが、ちょうどそのようなものだと思った。対して10代になってからのメリッサは、正直かつてのような輝きは見えない。しかし、そのくらいの年は子どもから大人に急激に変わる時期だから、神がかった才能が見えなくなることもあると思う。大人になってから、成長の苦しみを糧にした、以前にも増してすばらしい歌を歌ってくれるのか、それとももうその才能は見ることができないのか、わからない。神さまがほほえむかどうかは神さまにしかわからない。
 近代人はみな望郷の徒だ。ぼくも3世代さかのぼると血縁的に縁のない、大阪のベッドタウンに生まれ育った。近くを流れる川は、上まで一面コンクリートで覆われていて、その水にふれたことは一度もない。故郷は書物などを読んで再発見するしかなくなっている。メリッサのような、日本を離れた人たちに、かつての日本が見える。ぼくが台湾に惹かれているのもそれが大きな理由である。ぼくが愛する日本は、日本の中を探していてもたどり着けないのではないか、そんな思いがする。本当はあるのだろうけれど、深く埋もれてしまっている。日本を探して台湾に行くというのはいかにも色んな人に怒られそうだが、しかし日本人ということに当事者性を見出しているから、台湾(や沖縄や朝鮮)に関心を持っていることは間違いないのである。ぼくがフランス人だったら、ドイツやアルジェリアのことを学ぼうとしていると思う。
 夜6時ごろに玉井に帰ってきた。バスが着くと挨拶もなく解散していく。日本なら集合して一言あるところだけに、文化が違うなと思う。いったん荷物を置きに帰ったら、誰もいなくなっていて、「八方雲集」というチェーンの餃子の店で、ひとりでご飯を食べた。これまで人と一緒に食べてきたので、気づかなかったが、旅行先でひとりでご飯を食べるというのはさびしいものである。旅行で一番苦手なのはそれだ。台湾に来て6日間、すべて他の人と一緒に食事をしていたことに気がつく。それってとてもありがたいことなんだなと気がついた。台湾の店では店内で食べるか、持ち帰るかを選べることが多い。ドイツ人が家でパンケーキを焼くというのに、外で食べると行って出たが、買って持って帰ればよかったなと、食べ終わってから思った。
部屋にいると近くで花火が盛大に打ち上がり、何事かと見に行った。ロケット花火のヒュンヒュンという音もする。見ると、葬式の告知か何かのようで、子どもが3人くらいと大人が2人だけいて、玄関に花と名前が飾ってあり、葬儀の車が泊まっていた。あたりは花火の煙で、デモ隊と機動隊が闘った後のような感じがした。
 3日間、移動しまくりの旅行だったので、かなり疲れた。そして海に入りたかった。台湾いる間に入れたらいいな。

7日目 12/10(月)
 7時に起きる。昨晩疲れていたわりには、目覚めはよい。足湯と首の目の湯あてをする。湯あてとは気功用語で、要はタオルにお湯を浸して絞って、体に当てることです。今朝は朝食が出ないので、買いに行った。60元(約200円)で、魚と米の入ったスープである。うまい。施設の庭で少し気功をしたりする。
 朝のプログラムは、庭の掃除から始まった。掃除って気功になるな〜と思いながら気分よくする。次は庭をぐるぐる歩く。これも気功っぽくやる。次に、体操のようなことをする。ストレッチもやる。こういう西洋式のは嫌いなので、換骨奪胎して力を抜き、気功っぽくやる。気功は週に1回、4年やってるので、知らないうちに身についてきている気がする。人間には、特に障害者や発達特性の強い人には、気功など東洋医学的なものが合うことが多いと思う。発達障害の綾屋紗月さんが『当事者研究当事者研究』で、東洋医学と相性がいいと書いていたけれど、それはよくわかる。
 その後は工作と手芸をする。昼食のとき、天井からつり下げるタイプの扇風機が回っていて、あまり気分が優れなかった。ぼくは風に弱い。しかし台湾では多くのところで扇風機か冷房がかかっている。昼寝の後は、運動の時間で、ぐるぐる歩いた後ストレッチである。障害者の人たちは、ほとんど誰も真面目にやっていない。やってるのは先生たちくらいである。ストレッチなんて体を硬くするだけじゃないか、それより気功とかやって体をゆるめた方がいいのに、と思う。帰る前に、気功を4年やってるから、みんなと一緒にやりたいんですけどどうでしょう、と聞いてみたら、喜ばれた。20分でやってくれと頼まれたので、楽しみである。
 施設では結構暇で、手伝うことないかと聞いても、障害者の人たちと一緒に過ごす他は特に何も求められていないようである。掃除しようとしても、今度するからしなくていいよ、とか言われる。
 SIMの初期契約は短期間しかできなくて、それが切れたので、セブンイレブンで、30日間使い放題900元(約3000円)のSIMを契約し、次に地域の図書館で本をDVDを借りる。しかし泊まってるところのDVDデッキが壊れていて見れない。
 夕食後、一緒にテレビを見た。テレビはいい中国語の勉強になる。それから、ネットで中国語の音楽を流して一緒に歌った。テレサ・テンなんかは、同じ曲を日本語と中国語で歌っていたりする。文化を共有しているのっていいなと思う。

一週間分読んでくださりありがとうございました お疲れさまでした 続き(2週目)は次のページへ