台湾ボランティア記 第3週

第15日目 12月18日(火)
 昨晩早く寝て、5時ごろに目が覚め、短歌を二首ほど作り、スマホこち亀の中文版を一話見て、また寝た。起きるといささか風邪っぽく、鼻水がやたらと出る。しかし気分はそんなに悪くない。昨日シャワーを浴びなくて、今朝浴びたかったが、時間がないのであきらめる。
 今日は果物農家の直営店に、施設に子どもを預けている親たちと一緒に行くことになっている。車で20分くらいのところにある。昨日まで練習していた劇とダンスの本番である。ふつうに楽しく終わった。ぼくとドイツ人は、つまりボランティアふたりは、花束と感謝状をもらった。風邪もひとまず治ったようである。
 夕方、封筒と便箋を買いに文具店に行った帰り道で、施設を辞めると言っていた同い年くらいの男性の職員と、ばったり出くわした。ちょうど辞めたところだという。台南でプロブレムがあって、他の場所で新しい人生をはじめるんだと言っていた。連絡先を交換できてよかった。
 この施設には一ヵ月お世話になりたいと伝えていたが、これはぼくとしてはだいたい一ヵ月という意味であった。やはり着いてからでないと、どのくらいいたいかわからない。先日、1月に新たに障害者の人をいまぼくの住む場所に住まわせるから、終わりの日程を教えてと聞かれ、長くて12日までいていいですか?と伝えたのだが、新しく住まわせる準備をしないといけないからと、ちょうど一ヵ月で帰ることになってしまった。つまり5日までである。ほんとは12日までいたかった。
 台湾は他に、いまの新北市にある日本時代のハンセン病療養所が、障害がある子どもの施設になっていて、そこもボランティアを募集しているので、来年あたり滞在しようと思っている。玉井のこの施設もいいところだったから、遊びに来たいものだ。なんにせよ、人を住まわせるというのはたいへんなことだ。この一ヵ月だけでも部屋をあけてくれたことはありがたい。

【裏】 第15日目 12月18日(火)
 ツイッターの裏垢や学校の裏サイトなど、ネットには裏の世界があるものだが、わたしも裏日記をFBで書くことになるとは思わなかった。それもこれも、母親が我がFBを見ているからである。生存確認のためにFBを見れる設定にせよと言われており、それでも見せたくないものは非公開にしているが、毎日日記を書いているわけでいきなり第15日目だけ飛ぶのは不自然である。であるから、このような措置を取るのやむなきに至ったのである。以下は我が母と、施設の人(彼らは日本語は読めないが翻訳機能を使われると困るので)に非公開で書く。
 台東旅行で施設の同い年くらいの女性職員が話しかけてくれて、ふつうに一瞬で好きになったと書いた。その人とは部署が違ってふだん話す機会がないのだが、今日は果物農家に出かけるということで久しぶりに会うことができた。それで、やっぱこの人かわええな〜と思ったのだった。
 なので明日は仕事終わってからもなんとなく職場に残って、話すきっかけを探すぞ!
 この施設を離れるまであと2週間と少ししかない。職場体験をするには1ヶ月は充分だが、女性と仲良くなることを望む可能性を考えていなかった(当然か)。時間あるときどこかいいところ連れて行ってくださいとか頼むかな。
 これまでは慣れるのに精一杯で、女性のこと考えるひまがなかったが、やはり心惹かれる女性がいるということは、いま生きる上での最重要事項といって差し支えない。
 非モテ研の仲間に相談したところ、的確なアドバイスをいただいた。頼りになる仲間がいてすばらしい。
 恋路は秘すべきものだが、このFBに書いてもいまお世話になっている台湾の人たちにバレる心配はないから、例外的に書くことにする。

第16日目 12月19日(水)
 朝昼といつも通り。夕方にとつぜん、クリスマスの出し物で使うからとダンボールで琵琶を作るように言われる。台湾でも人気な沖縄の音楽、「涙そうそう」を流すらしい。その製作に時間がかかる。
 夜市に行った。キリスト教の人たちがメリークリスマスと言って町を歩いていた。
 夜市に行くために鍵をしめるとき、おじいさんが「window offにして」と言っていた。これを翻訳すると、「窓を閉めて」の意味である。中国語では電気を開ける、または閉める(開、關)というのだが、そのため窓の開け閉めにもon offを使ったものと思われる。これと同じ間違いを、台湾人のお母さんがすると溫又柔(『台湾生まれ 日本語育ち』など)が書いていた。「電気を開けてね」とか言うらしい。
 昨日の夜、台湾に語学留学していたという日本人のブログを見つけて読んだ。そういうものは本当にたくさんあるが、台湾に残りたいと望んでも、ほとんどの人が仕事が見つからないということで帰国している。昨夜読んだ人は中国語はかなりのレベルに達したみたいだったが、それでも帰国してしまっている。外国で働くというのはなかなか難しいことだ。しかしぼくがいましているような形で、団体や何やらのお世話になることなら、そう難しくはないと思われる。第一歩目にはいいのではないかと思う。

【裏】 第16日目 12月19日(水)
 裏こそメインの台湾日誌である。恋愛という最重要事項について記す。
昨日書いた、心惹かれる人の名前を日本語読みすると、リョウタツである。ひとりで考えるときはリョウタツと呼んでいる。これなら皆がいるときに独りごとでも言えて便利である。
 朝から今日はリョウタツに会って話そうと思っていたのだが、いつもの仕事が終わってから、クリスマスの出し物のためにダンボールで琵琶を作るよう言いつけられてしまい、それをやっていると遅い時間になり、少し施設内を探したが、リョウタツはすでに帰ってしまったのか、それとも今日は休みの日だったか、どこにもいなかった。今日はリョウタツに会うのを楽しみに生きていたようなものだったのに!明日こそは話せたらいいのだが…もっとも、話したところでどうなるかなどわからないのだが…悩ましいことだ…
ところで今晩、テレビでクレヨンしんちゃんの中文版を皆で見たが、高校生のしんのすけがボクシングを闘って同級生のななこ(普段は大学生だがこの時は同い年の設定)に認めてもらう話しだった。ぼくはこういうの実は好きだ。それでどれだけお金を稼ぐかにかかわらず、いい仕事や活動をしたい。いい仕事をしていたら人間関係は後からついてくる。ここ数年がそうだった。前までは全然友達いなかったのだが(高校のころの友達を除いたら1人とかだった)、特に友達を作ろうと思ったわけではなく、興味のあることをしていたら、気がついたらたくさん友達ができていた。恋人がいないとかで悩んでいないのも、これだけ友達いたらそのうち恋人的な人もできるだろうと思ってのことだ。逆に友達いないときは、恋人という一対一の関係を強く求めて、得られず苦しんでいた。友達の定義は難しいが、自分にとって大切なことを話せる相手のことかな。
 さて、まったくアホらしい、というかこれを言うと読んだ人から「恋愛相手に属性を求めるな」と怒られそうで怖いのだが、台湾人の女性と結婚できたら楽しそうだと思っている。理由は、ひとつには台湾社会を知るのに、最も効果的な方法だと思うからだ。それに、もし子どもができたら、その子は日本・台湾の両方の文化を受け継ぐわけで、そして生まれながらのマイノリティなわけで、色々悩んでくれそうだ。我が子には、日本・台湾・中国の教養をしっかり仕込みたいと思ってしまうのだが、まさに抑圧的な親だな。子育てって自分との向き合いでもありたいへんそうだ。知らんけど。(まだ先…というか実現するかどうかも不明なことだから無責任)

第17日目 12月20日(木)
 今朝はまた遅刻してしまった。ほんとはみなが集まる8時に着きたかったのに、仕事開始の8時半に着いた。スタッフの人には8時半でいいと言われているのだが…いつも寝るのが遅いのがよくない。しかし台湾日誌を書くのに時間がかかるからな。そして朝は気功の湯あてをするのに時間を取られる。
 今日は気温も高くて気分がよかった。朝の体操の後は、布を切った。昼の休憩時間に庭で本を読んでいると、小楊(楊くん)というかわいい男がやってきて、仕事疲れた〜とか言って少し話した。楊くんめっちゃフレンドリーな人で、みんなからかわいがられている。楊くんが「智大はこうやって外国でボランティアとかできてうらやましい」と言うので、「君は仕事をしないといけないから他の場所に行ったりできない?」と聞くと、「お金ためないと」と言っていた。ぼくは祖父母やパトロンの金を使っているのですまないような気持ちになる。楊くん、廈門に友達がいると言っていた。台湾と廈門はやっぱり交流が盛んなのだろうか。
 さて、17日間もいると中のことがなんとなく見えてくるわけであるが、楽しそうに働いている人と、つらそうに働いている人と、その間の人がいる。障害者の人たちはもっぱら楽しそうにしている。みなが楽しく暮らせたらいいのだが、この地球には色々なことがあるから、そういうわけにもいかない。(『この世界の片隅に』でもすずさんが「みなが笑って暮らせりゃええのにね」と言っていた)
 少し不思議なのは、障害者施設なのに、事務員が多すぎるのではと思えることだ。実際に障害者と関わったり、裁縫や手芸や料理の仕事を障害者と一緒にしている人と、事務員とが、同じくらいの数いるようである。ぼくは障害者の人たちといつも一緒にいるが、スタッフが足りていないように感じる。事務みたいな作業は効率化してできるだけ小さくできたらいいのにと思う。ITの発展に期待をかけよう。
 午後はまた気功をやらせてもらった。その後、ボール遊びをしたのだが、障害があるたぶん同い年くらいの女性と、いいやり取りができた。ぼくは執事みたいに、その子に合わせて球を投げ、あらぬ方向へ行った球を取って…とした。楽しかった。
 昨日言いつけられたダンボールの琵琶も完成させた。琵琶はふたつ作るように言われたけど、ひとつで力つきた。
 その後、キリストの幕屋という日本の新宗教台北支部にあてた手紙を書く。幕屋が台湾に進出していて、訪れてみるつもりである。幕屋はネットではヤバい噂しか見ないが、ぼくがそのクリスチャン性を最も尊敬している友人が幕屋の一員だから、信頼しているのだ。しかし、前に大阪の幕屋の集会に行ってみたが、大声をあげて「天のお父さま!」とか叫ぶとともに、ぼくにもそれを求めるのには閉口した。
 台湾の仏教を調べてみたが、’60年代後半〜’00年代前半にできた新しい組織4つで、人口の半分をしめると中国語のwikiに書いてある。半分とはあまりに多すぎではないだろうか。wikiなのでいまいち信用できない。でも台湾仏教が元気なのはきっと本当だろう。ひとまず、帰りにそのひとつ、花蓮の本山には寄ってみようと思う。関西にもそれぞれ支部があるようなので、行ってみよう。

【裏】 第17日目 12月20日(木)
 恒例の裏日誌である。裏というと暗い感じがするが、要は母ちゃんに見せないということであるから、【母ちゃん以外】とかしてもいいような気がするが、それはそれでなんとなく格好がつかない。
 リョウタツ(昨日読んでない人のために注釈:リョウタツは同い年くらいの女性)に会えるかなと今日も楽しみにしていた。リョウタツは子どもとかかわる部署だと言っていたから、昼にそれとなく、子どもたちがいるところをのぞいたりしたのだが、いなかった。
 明日、クリスマス会があって、ひとりふたつプレゼントを持ってくることになっている。ひとつはクジで決まった人に渡すのだが、もうひとつは自由に好きな人に渡すことができる。ぼくのプレゼントの手持ちは、日本から持ってきた京都銘菓の千寿せんべいと、台南の古書店で買ったが日本語の翻訳だからいらない、トトロと魔女の宅急便のイラスト付き解説である。クジではたまたま楊くんという親しくしている人に当たった。そして、自由に渡す相手はリョウタツにしたいと思うのだが、リョウタツは若くて美人でモテモテだろうから、ライバルが多そうでちょっと気が引ける。楊くんには千寿せんべいを渡して、リョウタツにはトトロと魔女の宅急便の本を渡すかなと考えていた。しかし、リョウタツジブリに特に興味がなかったら、興味がある人に渡した方がいいので、どうなのか聞きたいと思っていた。
 一日のプログラムが終わって時々、リョウタツいないかなと探していたのだが、やっと3階で明日のクリスマス会の準備を手伝っているのを見つける。親しくしてくれる30歳くらいのお兄さんもいたので、その人にHiと挨拶して(台湾人はHiとかHelloとかBye-byeと挨拶する)、自然な感じで作業に加わる。リョウタツにもHiと声をかけ、中国語の名前を呼ぶ。
 話しかけるタイミングをうかがっていたが、どうもなさそうだと、手紙を書いていた部屋にいったん戻ろうと階段を降りたところで、リョウタツも何かものを取りに来て、すれ違いざまに「智大は明日のクリスマス会に出る?」と聞いてくれた。ぼくは話しかけてもらってばっかりだな。それはさておき、そうだと答え、この機を逃すまいと、事前に用意していた紙を見せて(こういうのって外国語だし吃音的にもやむを得ないのだけれど、準備してるのがバレるのが難点だ)、「トトロや魔女の宅急便は好き?」と聞く。「そうね、うん、好きだけど…台湾人はみんな好きよ。わたしは…猫的○○(聞き取れない)が一番好きかな」と答えるので、少し考えて「猫の恩返し?」と日本語で聞くと、そうだということである。なかなかしぶい。なんにせよ、ジブリは台湾人にとって基礎教養らしく、リョウタツもおさえているようだったので、本はリョウタツに渡すことにする。
 「君も明日の会は出る?」と、会話を長くするためにわかりきったアホみたいな質問(しばしば逆効果になるあれだ)をし、いらんことを言ったと後悔したが、リョウタツは「明日はわたし司会するのよ。緊張するわ(笑)」とうまいことつないでくれたので、「この間、果物農家でも司会してたけど、よかったよ」と、褒める機会をいただいた。ありがたい。リョウタツは「それじゃ、これちょっと持って行くから」と言って去っていった。
 リョウタツの話し方が、昭和後期くらいに消滅した「女ことば」なのは、翻訳だから仕方がないと思ってください。そして、いちいち全部会話を全部覚えていることも気持ち悪いと思わないでください。ぼくは小学生のときに好きだった人とのやり取りや会話、いまでもいくつか覚えているからな…

19〜20日目 12月21日(金)〜22日(土)
 昨日(19日目)は夜はクリスマスパーティーで、帰ったら風邪っぽくてすぐ寝たので、日記が書けなかった。これまで毎日書いていたのに…。そして、一日たつとかなり忘れてしまっている。クリスマスパーティーでは楊くんという親しくしている同い年くらいの人がいいものをくれた。
 風邪のためか今朝はずっと寝ていて、起きたら8時半だった。8時半といえば本来着いていないといけない時間である。いまの家から施設までは徒歩2分だが。昨日シャワーも浴びていないが、それでもゆっくり朝ごはんを食べて、9時半に行ったが、特段怒られなかった。水木しげるは小学校を毎朝遅刻したが、必ずゆっくり朝ごはんを食べていたらしいことを思いだした。
裁縫の仕事をして、よく寝たから昼寝はせず庭で『風立ちぬ』の中文版の続きを読み、午後はみなで歌を歌った。歌はyoutubeをプロジェクターで映し、音はスピーカーを鳴らし、カラオケである。いくつかいい歌を知れたのでよかった。ぼくはなんとなく気が向いたので『ラバウル小唄』という軍歌を歌った。軍歌はヤバいかなと思ったが、みな「好聽好聽(いい曲だね)」と言ってくれたからよかった。これはFBに書くと怒られそうだな。
 夜は教会でクリスマス会があって、行きたいのだが体調がいまいちだからやめる。家で19歳のドイツ人の同居人と一緒に残り物を調理する。彼とは英語で話す。彼はこれを食べたら、台南のヨーロッパ人が集まるパブに行くという。一緒に食べながら色々と話しができてよかった。ドイツ政府は海外のボランティアにお金を出すらしく、彼ももらっているようだ。「ドイツは金持ちの国だなぁ」と言うと、「うん、こんな国は世界でもドイツだけだと思う。だからドイツ人はみな海外へ行く。台南で出会った欧米人たちも、8人がドイツ人で、他の国の人は2人か3人だけだ」とかいうことである。大学に行くのかと聞くと、行かないという。少しアルバイトをして、お金が尽きるまで南米を旅行するんだということである。「ドイツの本は一冊だけ読んだことがある。『帰ってきたヒトラー』は日本でもポピュラーで読んだよ」と言うと、微妙な反応であった。グリム童話とかもドイツだよと彼が言い、あーそれ知ってる、などと話す。ミヒャエル・エンデの『モモ』も挙げたが、あまり反応がなかった。そして驚いたことに、将棋を指すという。中国式ではなく日本式の将棋だ。なんと今回も将棋の駒を持ってきているらしい。ドイツで指しているのが300人くらいだから、ヨーロッパ大会に出たよと話していた。明日指すことになった。楽しみである。彼もなかなか変わった男である。
 客家のテレビでドラえもんの映画「のび太と翼の勇者たち」がやっていたので見たが、客家語であった。字幕がついているので内容は理解できる。CMで客家語運動30年ということがたびたび出てくる。客家語スピーカーは、抑圧されていた民主化以前よりも少ないだろう。台湾語ですら廃れていく中、客家語を残すというのはたいへんなことだ。しかし、テレビのキーの電波をひとつ持つくらいなのだから、たいしたものだ。

【裏】 19〜20日目 12月21日(金)〜22日(土)
 クリスマスパーティーでリョウタツにトトロと魔女の宅急便の本を渡そうと思ったが、プレゼント交換の仕組みを勘違いしており、自由に好きな人に渡すことはできなかった。しかし幸運にも、親しくしている同い年くらいの楊くんが交換相手のひとりだったので、彼にトトロと魔女の宅急便の本を渡した。我々は偶然、お互いがプレゼント交換の相手だと事前に知っていた。彼は、ドラえもんの筆箱をくれたが、これは小さい時から行っていたがもうつぶれてしまった文具店で、彼の誕生日に買ったものだという。とても思い入れのあるものをもらってしまった。大切に使うことにする。
 ちなみにもうひとつのプレゼント、千寿せんべいは、同じチーム(成人障害者の係)の人に渡すことになった。また、ある人から来年の手帳をもらった。
 リョウタツに渡せなかったのは残念だが、楊くんと交換できたのは幸運だった。楊くんは『耳を澄ませば』が一番好きらしい。リョウタツは『猫の恩返し』が一番好きである。日本に帰ったら、何かグッズを見つけて送ろうかな。
 今朝はリョウタツとすれ違ったが、出会い頭に「バイバイ」と微笑んで去って行った。どうやら今日は仕事はない日だったらしい。リョウタツにどこかに出かけようと誘いたいが、月曜日に機会を見つけよう。
 今日、誘ってみるつもりだったのに機会を失ったので、ずっと意気消沈していた。ひとりごとでリョウタツに会いたいな〜などと何度もつぶやく。
昼休みにジブリ風立ちぬ』の本を読んでいると、恋愛とはなんとはかないものか…と感じいった。二郎はもともと、菜穗子の侍女であったお絹に惹かれていたのだった。菜穗子にはじめて会ったときは子どもとしか思っていなかっただろう。しかし、お絹とは縁なく、菜穗子とは奇跡的に再会をしたのだった。二郎は菜穗子に、ひと目会ったときから好きでしたと言うのだが、そう思い込んでいるだけであって、事実ではないだろう。
 わたしも、恋をしうる女性はあまたいるはずであり、どの人と結ばれるかは全くの運であり、縁であろう。この人でないといけなかった、ということが本当にあるとは思えないが、運命によって選び取っていくまでである。
この人が好きだと思ったけど、会うことができなくて縁が切れていったという話しはいくらでも聞く。同い年くらいの友人たちなど、そんなことばかりしている。リョウタツが美しいと思っても、はかないものである。どうせ後2週間でここを離れるのであり、大阪に帰ったらいまの気持ちなんて忘れてしまいそうで怖い。気が移るだろうとわかっていながらも、しかしいま気をひかれる女性がいるのだったら、できることはするべきかとも思うし、下手に何かするのは無責任なことかもしれない、とも思う。
 そして、わたしは無力である。特に台湾社会においては無力の極みである。いまも施設の人の好意で生きている。熊谷晋一郎という小児マヒの医師で当事者研究をしている人が、「自立とは依存先を増やすこと」と言っていたが、こと台湾社会においては、わたしの依存できる先はごく少ししかない。日本だと障害者手帳があったり、実家があったり、ネイティブの日本語圏があったりで、仕事に就くのもそう難しくはないし、いざとなっても助けてもらえるが、台湾ではいまのわたしは就労ビザさえ手に入らないし、そもそも3ヶ月たつとビザなし滞在が切れるから出て行かないといけない。このような状態で、台湾人の女性を魅力的だと思ったところで、ほとんど遊びとしかいえない。遊びは遊びでいいと思うが、それより選びようがないのは悲しいことである。
 遊びの恋愛はそれはそれでいい。そこから学べることも多くある。しかし、いつかこの人と家庭を築きたいと思う人と出会う日が来ることと思うし、その日のために準備をしておきたい。やはり、もっと自立しなくてはいけない。熊谷さんの言葉を借りると、依存先を増やすことだ。帰国したらすぐ、障害年金の手続きを進めるつもりである。信頼できる社労士さんをやっと見つけることができた。いまは祖父母とパトロンのお金にしか経済的には頼っていないが、障害年金が手に入ればかなり大きな支えになる。さらには、お金を稼ぐという意味での仕事も、もっと心を入れてできるものを見つけたい。いままでのバイトは、わたしにとっては特に大切なものではなかった。そこからの学びは少なく、お金のためのみでしていたからか、やる気にならなかった。
 「自立とは依存先を増やすこと」と言うが、わたしは日本の国だけに頼るのも嫌なのだ。国がおかしくなって、国と共倒れなんてことは嫌だ。日本以外の選択肢を持ちたい。
 台湾には今後も関わりたいと思うのだ。日本にしか居場所がない状態を考えると、いくらか息がつまる思いがする。しかし、台湾の就労ビザは取るのが(わたしにとっては)おそろしく難しそうである。台湾人と結婚すると自動的に就労ビザがもらえるのだが、そのために結婚するなんてズルのような気もするし、制度なんだからうまく使えばいいじゃないかというような気もする。
 今日のこの文章はあまり考えられていない。普段ならもっと考えてから出すのだが、日記という毎日更新するものの性格上、あまり考えずに出すことにする。それにしても考えがまとまっていない感がある。今日書いたようなことは、台湾に対して真剣に思っている人が書くべきで、自分にその覚悟がありやという疑問もある。
 最後に、ドイツ人の同居人とリョウタツが英語でよく話しているので、今晩彼と一緒にご飯を食べながら、リョウタツのことは好き?(Do you like…)と聞いてみた。しかしリョウタツの中国語読みが通じず、「20代前半の女性で英語を話す…」と言うと、「あー、彼女はいい英語を話すね、この施設で…唯一の英語が話せる人だ(笑)」ということであった。ぼくはこのドイツ人とリョウタツがよく話していることにいささか嫉妬しているのだ。それで、彼がリョウタツをどう思っているか知りたかったのだが、それは聞けなかった。まあその方がよかったのかもしれない。
 そして、楊くんやドイツ人の同居人やら、よい出会いがありながら、美しい女性のことばかり考えているわたしは何なのか。これはしかし生命的反応であって、無理に抗う必要もなしだが、抗うのもまた人間の知性的生理だとも思う。
 追記:途中らへんやっぱ消したいな 明日になったら短くなってるかもです 今日は疲れて編集する元気もなし

12月23日(日) 二度目の台南旅行
 今日は10時から台南の街中の映画館で、国立台湾歴史博物館主催の上映会があるというので、見に行った。日本統治時代の映像を流す。FBの台南日台交流会に玉井に住みますと投稿したのだが、それで連絡をくれた許さんという日本語のよくできる人も観に行くということで、ギリギリになりそうだったので整理券をぼくの分も取ってもらい、見ることができた。内容はよくある記録映画に思えたが、わりと大きな映画館が満員になっていて、人々の関心の高さがうかがい知れた。
 その後、お昼を一緒に食べていたら、日本語のよくできる乞食の人がお金くださいと言ってきたので、15元(50円ほど)だけ差し上げた。乞食の人を見ると前は嫌悪感を覚えたものだが、大学を卒業してニートなどをしているとどうしても親近感がわく。そういえば人間立て看の人もゴザにお椀という乞食スタイルをされていた。最近は見かけたら気持ちだけお金を差し上げている。
 次に古本屋に行き、1990年代の小学校の国語の教科書を手に入れた。この時代までは「挿絵」という言葉が似つかわしい絵がところどころに入った、シンプルなデザインなのだが、2000年代に入ると「イラスト」と写真ばかりでごちゃごちゃしており、全然美しくない。中国語の勉強をするのに、国語の教科書を使いたいのだが、いまの時代のは手に入りやすいものの美しくないから買いたくない。苦労して古い教科書を探すことにする。今日一日目の書店で手に入ったのは幸運だった。
 施設の同い年くらいの親切な青年、楊くんが「集市」なるものに連れて行ってくれるというので、書店まで迎えに来てもらう。集市は路上販売のイベントみたいだった。特に興味がないので、ふーんと見て回る。彼はけっこう興味あるらしい。ひととおり見た後、どこか行きたいところある?と聞かれ、古本屋行っていい?と聞くとすんなりOKしてもらう。この一ヵ月くらい、台南は廟のお祭りらしく、特に今日は街中を仮装した人たちや竜や太鼓や爆竹やらがバンバンドカドカやりながらわーわー歩いていて、バイクの後ろに乗りながら非常におもしろく見た。
 古書店をふたつ行った後、楊くんおなじみのカトリックの教会へ行く。フランス人の神父さんと韓国人の修道士がいた。フランス人が中国語を話していてすごいと思った。夕食においしいおでんを食べた。
 帰りのバスで、暗くて本は読めないがフリーWi-Fiもあることだし、何か動画を見ようと思ってYouTubeを開いていると、「あなたへのオススメ」で「はいふりハイスクール・フリート)」なるアニメが出てきた。女子高生が先の大戦時の海軍の船に乗ってドンパチやる感じの話、つまりガルパンの海軍版らしいが、見るとこれがおもしろい。いいものに出会えてよかった。
帰ったら夜10時で、ドイツ人との将棋の約束は果たせなかった。謝って、明日指そうと言った。

第3週終わりです お疲れさまでした 次のページに続きます