台湾の元・ハンセン病療養所「楽山教養院」訪問記

 2018年12月から1月にかけて一カ月間、台湾は台南の郊外の知的障害者の施設でボランティアをしていた。ボランティアといっても、障害者の人たちと同じような生活をしていたのみであるが。その日々はnoteに記した。

 ボランティアの滞在が終わってから、東回りに北上し、台北に行った。そして、日本の植民地時代からハンセン病者の療養所であり、1971年からは障害のある児童が住む場所となっている「楽山教養院」を訪れることにした。

 楽山教養院を知ったのは、東京は清瀬と東村山の境にある「国立ハンセン病資料館」を訪れてのことだった。御殿場の私立神山復生病院(1889~)と国立駿河療養所(1944~)*1は行ったことがあったが、旧植民地にハンセン病療養所が作られたということは知らなかった。しかし冷静に考えれば、決しておかしいことではない。

 台湾には、旧台北州(戦後は台北県、2010年に新北市と改称)にふたつあった。ひとつは台湾総督府立の「楽生院」(1930年~)、もうひとつは宣教師であり医師であったカナダ人、グッシュテイラー(George Gushue-Taylor)が建設した私立「楽山院」(1934年~)である。

 楽生院は新北市桃園市の境の山際にありますが、2000年代になってから、MRT(地下鉄)建設のため、古い建物が取り壊されることになり、その反対運動が盛り上がって話題になった。運動の結果、取り壊されたのは一部分にとどまった。

 もうひとつ楽山院は、台北のかつての外港として有名な観光地・淡水の対岸の、八里という場所にある。こちらは、楽生院ほどは有名ではない。楽生院が現在も(元)ハンセン病患者の住まう場所であるのに対して、楽山院にいたハンセン病患者は楽生院に移動し、楽山院は1971年から、障害のある子どもたちの住まう場所になっている。

 「ひょっとしたらボランティアという形で滞在させてもらえるかもしれない」と、楽山院に関心を覚えた私は、台南にいたときからメールで訪問のアポを取っていた。そして、帰国する前日の1月11日の木曜日、あいにく時々ポツポツ雨が降るような天気だったが、訪れることができた。

 台北からはいくつかの行き方があるが、MRTで中和新蘆線の終点蘆洲駅に行き、バスに乗りかえ、八里の終着駅に着き、20分ほど歩くルートをとった。

 

  門に着くと守衛の人がいて、話を通してくれていたようで、数分すると女性の方が案内しに来てくれた。建設当時から使われていた赤煉瓦の建物が「戴仁壽醫師紀念館」という資料館になっていて(戴仁壽はグッシュテイラーのこと)、鍵を開けて入れてくれ、詳しく説明してくれた。

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療養所の土地を購入する証書 昭和六年とある

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左:gushue taylor 右はおそらく奥さん

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当時のカルテ もう亡くなっているので公開しても構わないとのことだった

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当時の医療器具も

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建物外観

 記念館を出て、院内の教会へ。Gushue-Taylorは医師であると同時に宣教師でもあった。宣教師たちはハンセン病者の救済に活躍し、日本でも多くの療養所を開設している。国立療養所が整備されはじめるのは1909年ごろからだが、御殿場の私立神山復生病院が1889年に開設されるのを皮切りに、1890年代に東京の目黒や熊本などに宣教師によるハンセン病療養所が開設されている。また、国立の療養所では、その目的を治療というよりは収容としたように思えるくらい、非人道的な生活を送らされたのに対し、これら私立の療養所では、自分たちで畑を耕し、余暇の時間もあり、キリスト教の精神に基づいた、比較的に人道的な生活が営まれたようである。当時発展途上国であった日本や台湾という異国におもむき、社会から最も差別されたハンセン病者と共に生きた宣教師たちを尊敬する。

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教会

上の写真が院内の教会であるが、特徴的な点がひとつある。それは、祭壇と一般信徒の立ち入る場所が、小さな壁で仕切られているところだ。感染を防ぐため、壁を作って行き来できないようにしたのだろう。

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低い壁がある

院内を散策させてもらった。数年前に新棟が完成するまで、戦前からの建物に障害児たちが住んでいたらしい。台湾や日本、西洋の実業家、銀行、政府関係、教会など数多くの機関・個人から寄付を受けたようで、その名前が部屋の上に刻まれている。

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辜顯榮氏の文字が見える 台湾総督府と結んだ台北の実業家で戦後は漢奸とも言われた その孫であるリチャード・クー氏は野村総研の主席研究員として活躍している

 

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トロントの聖アンドリュース教会の寄付

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ハンセン病者と障害児が住んだと思われる部屋が並ぶ 今は使われておらず 廊下もこの通り掃除されていない

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日本語の詩が壁に書かれていた いつの時代のものだろう 消えかかっている

上の写真の日本語の詩であるが、1980年から84年に堀田久子(崛田久子?)という宣教師が滞在していた('82年までは院長代理)と資料館に書かれており、その人の詩かとも思ったが、にしては新しすぎるようにも感じた。日本の詩人が立ち寄って書いたのだろうか。

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公園(今はあまり使われていないように見えた)

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小さな畑もあった

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少し行くと山

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ベトナムから働きに来た女性たちが住んでいるところ 台湾では東南アジアの女性たちを介護労働者として大勢受けいれている

その後、数年前にできた新しいビルにお邪魔して、院長の方などとお話しすることができた。楽山院についての漫画や本もいただいた。

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楽山院でいただいた漫画と絵本 George Gushue-Taylor(戴仁壽)医師について

台南の障害者施設でボランティアをしたことを伝え、ダメ元で「ここにも滞在してボランティアのような形で関わりたい」と言うと、「うーん、前例がないけど…住む場所がなぁ…でも部屋に空きが出ることもある。部屋が空いていて、そしてあなたの中国語がもっとうまくなったら、来ていいよ」と言われた。

中国語ができるようになるために、語学留学をすることにします。その費用をクラウドファンディングで集める予定です。ご協力いただけますと幸いです。

*1:現存する日本最古のハンセン病療養所。院内に博物館があるので事前連絡の上ぜひ行ってみてください