女性の吃音者と男性の吃音者〜見た目問題としての吃音〜

吃音がある女性と男性とで何か違うところがあるだろうか、と思っていた。吃音の男:女比は3~5:1なので、女性はマイノリティになる、以外には特にないと思っていた。

しかし、先日、吃音のある小中高生を対象にした合宿に参加した友人が、「女の子の方が男の子よりもちゃんと考えているように見えるなぁ」と言っていた。ほんとだろうかと思ったが、同時期に、別の、女性の身体をした人から、「女性のほぼすべての人が、外見にコンプレックスがあると思う」と聞いた。だいたい8~9割くらいかなと思っていたが、ほぼ全員というのに少し驚き、しばらくたってたしかにそうかもしれない、と思った。そして、それでつながった。特に女性の場合、吃音が見た目問題につながるのではないか、と。

あるていど重い吃音の人がどもるとき、顔をゆがませたりすることは多い。また、声も一種の見た目である。女性の身体の人は今の社会では、外見が「評価」されることが、男性の身体の人に比べて格段に多い。声もまた、「萌え要素」のようによく見られる。ある女性身体の友人は、性に対する嫌悪感があると言っていたが、それも社会に置かれている女性身体の地位によるところがおおきいようだ。

そのような社会において、女性が安心してどもることができるだろうか。どもるときの外見は、男性身体のぼく自身、いくらかは気になっていたのだが、女性の場合それが何倍も気になることは、ありえると思った。

押見修造の『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』という漫画があるが、そこでは女性の主人公の「志乃ちゃん」が顔をゆがませてどもる場面がある。押見修造もそのような意識から、主人公を女性にしたのかもしれないと思った。

女性の吃音の人が、「恋愛が不安」と語るのを聞くことが多かったが、今まではよくわからなかった。恋愛は人と人とがほんとうに結びつくことなのだから、どもるかどもらないか、という全人格のほんの一端の現象を気にしなくていいのではないか、と思っていた。しかしやはり、男性がアホすぎて女性の外見しか見ていないという現実があるのだった。そして、女性がどもっていると「外見的にアウト」と思う男性もいるのだろうと思った。あるいは、どもっていて「萌え」と、アニメの登場人物のようにしか受けいれられないこともありうるだろう。「男性がアホすぎて」と先に書いたが、社会構造的な問題でもあるから、しゅうと・しゅうとめなどで吃音の「嫁」を嫌がる人もいるかもしれない。

友人が参加した合宿は、「吃音を受けいれよう」ということが前提になっているものだった。ぼくも何年か前に参加したのだが、その時も今回も、小中高の参加者は女性が多かったようだ。男性にとってよりも女性にとっての方が、吃音を受けいれるのは難しく、しかし同時に必要性のあることなのかもしれないと思った。