「蝶々さん」 半植民地にされることの悲しさ

NHKのドラマ「蝶々さん」(2011)が再放送されていて見た。蝶々さんは長崎県の田舎の武士の娘だが、父を佐賀の乱、母と祖母をコレラで失い、親戚によって置屋に売られる。武士の娘としてよい教育を受け、英語を学んでいた蝶々さんは、芸者になってからも英語の学習を欠かさず、いつかアメリカ合衆国に行きたいと夢見ていた。

そんなある日、アメリカ海軍の軍艦が機関の故障で長崎にやってくる。上陸したある士官と蝶々さんはパーティーの場で出会い、恋に落ちる。正式に祝言もあげ、蝶々さんは士官の子を身ごもる。が、船の修理が終わり士官は長崎を発つ。「必ず帰るから待っていてほしい」と言い残して。

蝶々さんは子どもを産むが、士官は帰って来なかった。しかし、士官の妻がやってくる。なんとアメリカにすでに妻がいたのである。蝶々さんはそれも知らされていなかった。妻は蝶々さんを見て、「まぁなんて可愛らしいこと。夫もあなたが人形のように可愛らしいと手紙に書いていましたわ」と屈託なく言う。このアメリカ人の夫婦はどちらも、蝶々さんを人間、ひとりの女として見ていないのである。そして妻は、「養子にしてアメリカで育てるため、子どもを引き取りたい」と言う。蝶々さんは同意し、子どもを渡した後、自害する。

屈辱である。ドラマであるし、そもそもがオペラであって、実際にあったこととはずいぶんと違っているとはわかっている。が、これがイタリアやアメリカで大人気になったのである。なんたるアジア人蔑視、なんたる日本人蔑視であろう。

人権の問題である。が、当時の日本人が、国権の問題だととらえたのがわかる。列強に領事裁判権を握られていた半植民地日本に対してだからこそ、このようになめたことができたのだ。本国に妻がいるのを隠して結婚したのだから、本来日本の法律に基づいて裁くことができたのではないか。自由民権運動の活動家たちや政治家の一部が、民権の確保のために国権の回復が必要だとしたのは、蝶々さんのような屈辱を見ていたからなのかと思わされる。

民権の確保のために国権の回復・伸長が必要だという意見を、中国人がツイッターで述べているのを見たことがある。「以前、中国人は外国に行くといつもバカにされていた。が、中国が大国になった今、バカにされることはほとんどなくなった。外国人にバカにされないためにも、国に力が必要なのだ」というようなことであった。

人権の視点でいえば、バカにするのが悪い。シンプルに、「国籍や民族を理由にバカにするのをやめるべし。人権侵害だ」と言えばいい。「国に力を」など、新たな抑圧や人権侵害を生む危険がある。が、その中国人の意見は、それもまた今の世界の真実なのではないかと思えた。

日本人もまた、同じことをしてきただろう。邱永漢という台湾人の作家に『たいわん物語』というものがある。1980~81年に「週刊ポスト」に連載された短編集である。邱永漢は大正13年に台南に生まれており、父は台湾人・母は日本人である。頭脳明晰で、当時の台湾で最高級の学校に行き、東京帝大に入学する。戦後台湾に戻るも、政変のため香港に亡命し、その後日本に移り住む。その人の『たいわん物語』だが、日本人駐在員と台湾人ホステスの恋愛物語である。アメリカ人士官と日本人芸者という身分構造が、1890年代の長崎と1970年代の台北という時と場所を越えて、再現されている。

蝶々さんはアメリカに憧れていた。アメリカ人士官の妻になろうと思ったのも、それ故であるところは大きいだろう。『たいわん物語』においても、日本人駐在員は台湾人のホステスによく惚れられている。当時の日本と台湾の経済格差はとんでもないものである。台湾人ホステスも、圧倒的な先進国である日本の文化と、その金銭に惹かれた面は大きいだろう。日本人は駐在員であるから、2~5年もすれば東京や大阪に帰ってしまう。アメリカ人士官のように「また帰ってくるよ」と言い残して去った彼を、台湾人ホステスは待つ。が、しだいに手紙が来なくなる。日本人は東京で、いい奥さんを見つけていたりする。

以前『たいわん物語』のことを、日本人の女性に話したことがあった。するとその人は、「ひどい話だ」とかなり立腹していた。ぼくは正直、その怒りがよくわからなかった。台湾人ホステスも、お金や日本国籍取得という下心があって駐在員に近づいているのだから、裏切られたからといっても、そう文句が言えないのではないか——と思っていたのである。

が、今回「蝶々さん」を見て、認識の誤りに気がついた。ぼくは「21世紀の日本人男性」という特権者の視点にあまりに依っていた。「19世紀の日本人」ないし「19世紀の日本人女性(芸者)」という、従属下に置かれた視点から見ると、「下心があったから」なんて責めるなど、人民からガッツリ搾取している資本家が、工場に落ちていたクギを盗んだプロレタリアートを責めるようなものである。

アメリカ人士官は、日本流の「祝言」などさぞ物珍しかったであろう。ふつうの旅行者には体験できないような、「日本文化の奥深いところ」まで見れて、さぞよいみやげ話になったことであろう。同じく、日本人駐在員も、日本語をよく学んでいる女性のもてなしを、日本ではありえない破格の値段で受けることができ、さぞ満足したことであろう。そして両者とも、国や会社のためによく働いて稼いだお金を使ってあげているのだから、そういうケアや「幸運」を授かる資格はあると思ったことだろう。他の文化を盗用するとはまさにこういうことで、これは現代の観光産業にも通じる問題だろう。

最後に、邱永漢はどういうつもりで『たいわん物語』を書いたのかについて述べたい。つまり、台湾人として日本人を告発するために書いたのかということであるが、答えはおそらくNOである。彼は、日本人駐在員の視点で書いている。彼自身が大成功した企業家であったし、また上に述べたように日本語で教育を受けて、日本に長く住んでいるわけで、心情的には日本人に近しかっただろう。邱永漢は「あとがき」でこう述べている。「題名の『たいわん物語』は荷風散人が明治の末期に書かれた『あめりか物語』や『ふらんす物語』にあやかったものである」。『たいわん物語』も『蝶々夫人』もエキゾチックな恋愛体験として消費されたが、そこにはグロテスクな経済・政治格差があり、涙を流した女性たち、涙に気づかなかったか、気づいても知らないふりをした男性たちがいたのである。