My一人称が「うち」だった話

『ぼくはかぐや姫』という小説がある。センター試験国語の過去問集に出ているから知っている人も多いだろう。主人公の女子生徒は、自分を表す人称として女性としてはめずらしく、「ぼく」を使う。そこには、自分の存在をわかりやすい何かに回収されたくないという思いがあったように記憶している。
さて、ぼくはぼくのことを「ぼく」と言っている。「おれ」は使わない。幼稚園のころ、周りの人たちが使っていたから真似てみたことがあったのだが、父に「ぼくって言いなさい」と注意され、その後「ぼく」を使うようになった。幼稚園や小学校では周りの男子はほとんど「おれ」だったので、少し気恥ずかしかったが、私立中高に入って以後は、「ぼく」を使う人が周囲に増えて、特に恥ずかしくはなくなった。また、「おれ」は正直ちょっと粗野な感じがして、自分には合わない気がするのに対し、「ぼく」はおとなしく純朴な感じが合うように思うので、いまもそのままである。
だが、小学3年のころだけ、違う人称を使ったことがある。「うち」である。「うちな〜、きのう京阪電車乗ってんけどな〜」などのように、上方の少女や若い目の女性が使う言葉である。たぶん、同じクラスの女子が使っているのを聞いて、それがうつったのだと思う(テレビの影響もあるかな?)。クラスの女子に、「八木くん『うち』って言うん?」と怪訝な顔をされたのと、母にも「女の子が使う言葉やで」と注意されたことから、すぐに使わなくなってしまったが、短い間だけでも自分がそう言っていたことはいまも印象に残っている。
「うち」はいうまでもなく、「家」を連想する。小3当時、「自分」と「家族」が27歳のいまより未分化で、自分の考えや行動は家族の影響が大きいと感じられたからであろうか、「うち」は居心地のいい人称であった。「うちはこうする」と言えば、「自分」は免責されて、「我が家ではこうすることになっている。したがって自分もこれからこうする」と根拠づけることができたように感じられたのかもしれない。